勉強会
松枯れは20世紀初頭に九州に始まり、大正期には本州の兵庫県に飛び火し、その後次第に分布を西南日本一帯に広げ、今や青森まで被害が及ぶ樹木の伝染病です。考えられる様々な原因のうち、主なものは北米産の外来種マツノザイセンチュウ。体長1mmにも満たないこの線虫が、マツノマダラカミキリを介してマツに侵入し養分や水分を運ぶ管をつまらせると、マツの幹を支える組織が弱化し枯死にいたる、と考えられています。堆積するばかりの落ち葉や枝で栄養に富んだ土壌はマツの生育に適しません。そのような林が多くなり、マツが病害に対する抵抗性を低下させたことも、被害拡大の背景にあるといわれています。
三国でもその被害は近年激化。約430haある森のうち、およそ4分の1がすでに失われています。赤く乾いた葉、白骨の幹が立ち並ぶ、廃墟さながらの森は、海岸から里山を駆け上り、遠く山間部にまで及んでいます。吹きつける潮風は強くなり、野の生きものたちは静かに姿を消し、代わりにやってきたのはゴミでした。この土地に生を受け、子を繋いできた人々と常に一緒だった、かけがえのない景観が消え去ろうとしています。
想像を越えて大きなものを、わたしたちは喪失しているのです。
森は暮らしを映し出す鏡といわれます。マツほどヒトの生活とともにあった樹木もありません。日本は、総面積37万平方キロの約3分の2が森林で覆われています。そのうちの約1割、2.1万平方キロが、クロマツないしアカマツの林といわれています。
マツが増加したのは約1500年前、稲作が伝わってしばらく経ち、安定した農耕が人口増加をもたらした頃のこと。水田から周辺の森林に広げられた開墾の手が、雑穀・マメ・イモ類を栽培する焼き畑農耕を行うようになると、土地から栄養分が奪われていきました。そこに急速に広がったのが、貧栄養な土地に生育できるマツでした。
室町時代から戦国時代にかけて、農業は著しい発達を遂げます。葉は堆肥、枝は燃料、幹は材木に。森林から採取され貧栄養化した土地はアカマツの生育に適した環境をつくりだし、海岸の砂防事業が各地で進められる17世紀からは、汀に沿ってクロマツが植林されます。森のなかでマツは優占種となりました。
ここ三国でも、マツを欠いた暮らしは考えられないほど大変重宝されました。長い間、アカマツに覆われた里山は生活資源の宝庫であり、その恵みをもらうことと林内をきれいに保つことは同義でした。身近なエネルギー源としての里山の役割が化石燃料にとってかわられたのは、ついこの間のこと。放置された枝葉は土壌を富栄養化し、マツの生育に適さない環境になりました。かわって広葉樹が森を覆い始めました。これ以降も人手が入らなければ、森は長い時間をかけて極相林に姿を変えていくことでしょう。
森は常に変遷の過程にあり、これにヒトの暮らしの変化が関わって、その時々の森の姿が形成されています。松枯れた森林を前にして、これからどのような姿を描いていくのか、みどリレーは考えていきます。
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