三味線を始めたのは、20代の頃。結婚後に三国の下町で暮らし始めてから、どこからともなく聞こえてくる三味線の音色に魅かれていたのだそう。そもそも三国町は、北前船文化で栄えた湊町。芸者が芸事を習う稽古場(検番:けんばん)があり、格式の高い芸者衆を抱えた町としても有名でした。色町の名残がまだ色濃く残っていた当時、町には三味線の音色が時おり流れ、それを耳にしていたのです。そんなある日、近所で三味線を手放すという芸者さんがいて、もともと幼い頃から楽器が好きだったという長沼さんはそれを譲り受け、三味線を習い始めました。
結婚し嫁いだ先は商売を営む家だったので、家の仕事で忙しい毎日。そのため、お昼の一時間を利用して習う日々。やがて名取となり、「芳村竹世志」として活動するに至ります。何を極めるにしろ、その過程で誰もが一度はスランプを味わうもの。けれど長沼さんには、そういう時はありませんでした。根っから三味線が好きで、弾き続けることを苦と思ったことは一度もないのだとか。そして徐々にお弟子さんも増えていきました。
50代の頃、家の商売をやめてゆっくり過ごすことになった時、長沼さんの働く意欲は消えませんでした。そしてブライダルの仕事を始め、10年後に退職。その頃はすでにお弟子さんは7・8人でしたが、まるで退職を皆が待っていたかのようにお弟子さんの数は一気に増えたのだそう。そうして本格的に三味線を教え始めて、今ではお弟子さんも30?40人!
「昔は60代の方が多かったけれど、今は20?30代の方が多いんですよ。」 粋な三味線の音色に魅かれ、若い人が増えたと言います。 「今の世の中は『洋』の楽器が多いけれど、日本の原点や癒しを三味線の音色に感じるのじゃないかしら。」
その言葉に思わず大きく納得。かくいう私も、三国の町を歩いていて三味線の音色にうっとりした経験があるのだもの。そして、『三国って、なんて風情のある素敵な町なんだろう』と感動した覚えがあります。その話を伝えると、驚くことに、その音色も長沼さんが奏でたものだということがわかりました!きゃ?!すごい!
「三国は、北前船による文化が残した湊町。芸者が歩き、旦那衆がいて、色町があった。その風情を残していきたい。若い人たちに三味線を教えながら、三国の文化を伝えていきたいんですよ。」 そう語る言葉とおり、私も知らずしらずのうちに長沼さんの三味線の音色に誘われ、三国町に魅かれていったうちの一人。まさに、三国の風情を語るには外せない方です。
♪春の夜に 雪がちらちら降るわいな
雪じゃござんせぬ
あれは お庭の こぼれ梅♪
これは取材中、長沼さんが教えてくれた江戸小唄の一つ。本当に粋!ため息が出ちゃいます。長沼さんは、実は東京生まれ。江戸っ子の血が三国の湊町と調和して、こんな粋な雰囲気を醸し出しているのかもしれません。
そんな長沼さんの夢は、自宅の入り口を古風な格子戸風に直し、奥のお稽古場から三味の音に合わせて粋な小唄・都々逸が聞こえてくる風情ある町屋へと蘇らせること。前の通りを歩いていく人がすっと立ち寄れるような空間にして、昔の資料を置き、入り口には「竹世志」と筆の入った暖簾を掲げて…。 それを聞いて、思わず「実現させてください!」と興奮してしまいました。そして夢を語る師匠を前にしていたら、そういう夢を持ち続けることそのものが粋というものではないのだろうか、と感じました。三国は粋な心が生きている町だなぁ、と感動したhanaちゃんでした。