喫茶店のドアを開けると、色とりどりの小さな船がガラス瓶に入ってお出迎え。そう、ボトルシップとは、ガラス瓶の中に船の模型が入っている、あの不思議な作品です。店内に飾られた作品数はなんと100点以上!その数に圧倒されながら一つ一つをじっくり見ると、その精巧な作りに驚きました。一体どんな人がこの作品を、しかもこれ程までにたくさん作ったのだろう。緊張の面持ちで待っていると、大西さんがニコニコと笑いながらやってきました。
大西さんは、地元である三国町安島地区に生まれ、15歳の頃から30年間、遠洋航路の大きな船舶の乗組員として働いてきました。船では乗組員たちの命を預かる賄夫、つまり船の料理人として働いていたそう。そして45歳で退職後、最後に乗っていた船舶「あらすか丸」から名前をつけた「あらすか」というお店を地元で開き、いまも海の幸を中心に料理に腕を振るっています。その方がボトルシップの制作者。ん?ボトルシップと料理人?そしてこれらの作品は、乗組員だった当事作っていたもので、船以外では、つまり陸地では一つも作ったことがないそう。ん?まずは、船乗りだった当事の話をお聞きしなければ!
短くても4ヶ月、長ければ10ヶ月もの間、船の中だけで生活する遠洋航路乗組員の暮らし。それは毎日が気持ちとの戦いの日々でした。外の景色を見ても、見えるのは海ばかり。新聞もテレビもラジオもなく、顔を合わせるのはいつもと同じ船乗り仲間。休日があっても外に出かけられるわけじゃなく、本ばかり読む毎日。外国の港についても、その国のあちこちを歩き回れるわけじゃない。妻や子供たちとも離れ離れとなり、恋しい想いは募る日々。無事に航路を終えて家族の元に帰りたいという願い。「海に生きる」ために味わう辛さ。限られた空間で続く生活の中で、ある日、大西さんは同じ乗組員仲間がボトルシップを作っているのを目にします。「暇もあったし、やってみようかな。」と、軽い気持ちで始めたのがボトルシップ作りでした。
見よう見まねでボトルシップを作り始めたのは27?28歳の頃。ボトルシップとは約200年前に、西洋の水夫が長い航海の中で、船で手に入る限られた材料で様々な細工物を作り、飲み干した酒瓶に入れたのが始まりと言われています。その作り方は仲間から仲間へ、船から船へと伝えられ、大正初期に日本の船員にも伝わりました。日本で普及した作り方は、分割した各部品を瓶の中で組み立てる「組み立て法」。けれど大西さんの作品は、船を完成させた後、マストを倒し瓶の中で再びマストを引き起こすという外国の「引き起こし法」です。つまり、見よう見まねで始めた大西さんのボトルシップ作りは、いつの間にかオリジナル技法を習得した作品作りとなっていったのです。
「まずはのぉ、瓶の確保が大変やったんや。」 お酒を飲まない大西さんにとって、大変だったのは透明なガラス酒瓶を手に入れることだったそう。当時はサントリーの“ダルマ”が流行った高度成長期。あの黒瓶ではボトルシップは作れません。そこでニッカのウィスキーを用意し、仲間に勧めることから始まりました。そして材料集めも重要。船の帆(マスト)は船内にあるウエスなどのボロギレを用い、船の模型は船内に落ちている木のかけら。帆を張る支柱は爪楊枝や竹串。そして木や布にペンキを塗りペーパーで磨き、瓶の中へと入れていきます。けれどペンキを塗り重ねる回数が一度でも増えると、ペンキの厚みで瓶の口に入らなくなってしまう。それほどデリケートな作品作り。道具ももちろん、船の中にあるもので済ませます。 針金の先にカッター刃を取り付け、瓶の中に静かに入れながら、糸の位置を一本一本確かめながら切っていくという細かい作業。初めはあまりの細かさに、糸の色を色分けして作り始めたというほど。一本一メートルもの糸が何本も瓶の中で絡み合うのだから、大変です。 「船の中ではな、海がしけている日は食事の時でも濡れた布をテーブルに敷く。それほど大変なんや。」
けれどあまりの細かさゆえ、海が荒れている日や気持ちが苛々している時は、完成間近でも失敗してしまいます。その苛々から、瓶を床に叩きつけて割ってしまうことも。そう、ボトルシップ作りは、気持ちが穏やかでないと作れないものなのです。一つ製作するのに、一週間?10日間かかるボトルシップ。多いときでは一ヶ月で6作品も製作するまでになり、気がつけば10年以上の歳月をかけて、合計300点余り制作したのだそう!すごい!それほどまでに細かい作品を作り続けたのは、やはり海の上での生活だったからこそ。
「気持ちのバランスを取るっちゅうんかな。それに完成した時の感動がうれしかったからな。」 ずらりと並ぶ作品を見ていると、そのカラフルさにも驚かされます。初めは赤白から作り始めたボトルシップも、いつの間にか赤青黄紫緑黒と、その色数も増えました。例えば、ロサンゼルス航路の時は青色が多いとか、オーストラリア航路の時は赤色が多いとか、航路によって色の傾向ってあるのかしら? 「そりゃ、あるやろうの。ロサンゼルス航路の時は、ほとんど作れんのや。海が荒れているからな。」 う?ん。さすが海の男の言葉!
これだけの数を作ってきた大西さんも、航海を終え家に戻っている間は、一個たりとも作ったことがないのだそう。なぜなら家に帰れば奥さんも子供もいるから。だから船乗りの仕事を終えてからは、一個も作ったことがありません。それがこうして個展を開くようになったのは、この喫茶店に昔プレゼントしたボトルシップがきっかけでした。
三国在住のアーティストの女性がそのボトルシップを見てあまりの作品の出来栄えに驚き、それで個展を開くことになったのです。船を下りて15年もの間、自宅だけに飾ってあったボトルシップは、数えてみれば100以上の数が残っていました。そして、この個展には三国町に住む同級生や昔の友達も数多く訪れています。そして、みなが一様に感動して帰っていく。それは単に友達の個展というものを超えた何かがありました。
訪れた人には、自分の息子もいま船乗りをしているという同級生の方や、自分も元遠洋航路の船乗りだったというおじさまや、父や親戚が船乗りだったという人なども少なくありません。大西さんが海にいた頃、この安島地区の九割もの男性が同じく船乗りとして働いていたそう。その半数ほどの人が、一度はボトルシップ制作にトライした経験を持っているというのです。それ以外にも、航路中お祝いだといって、大西さんが仲間に贈ったボトルシップを今もなお大切に持っている人は少なくありません。そう、このボトルシップ展は大西さんの想いだけでなく、三国の海のそばで生きる男の人、そして大切な夫や父を待つ家族にとっても思い入れの深い作品だったのです。
大西さんの作品には、三国に生きる海の男の気持ちがいっぱい詰まっています。そして、60歳にして初めて自分の個展を開いた大西さん。 「店に飾ってもらってよかったなぁ。これは、お金では買えない自分の財産や。人間の付き合いを大切にして、一人一人に感謝する。それが俺なりのやり方かなぁ。」
少し照れながら笑う大西さんの後ろには、ボトルシップが同じように笑顔でたたずんでいるように見えました。これが、海の男のロマンなんだ。そう感じると、なんだか気持ちが熱くなってきます。そして窓の向こうには、海がきらきらと輝いていました。これが、本当の、海の男の気持ち。そして、それを取り巻く多くの人の気持ち。30年間海で生きてきた男の集約が、この個展に詰まっているように思えます。またしても、三国の男たちの魅力に触れてしまった。そ?んなことを感じながら、インタビュー後はやはり海へとお散歩に向かったhanaちゃんでした。