活動レポート 第2回「森づくりプラン」
2008.02.26 by mikuni.minato
●日時:2008年2月24日(日)13:30〜17:00
●場所:三国町商工会館
●講師:樹木医 井上重紀氏/福井県自然保護センター 平山亜希子氏/(有)PTP
三国の里山に人と他の生きものの賑わいをつくりだす、三国湊 緑のリレープロジェクト。
第2回目は、前回の活動「森の健康診断」をもとに「森づくりプラン」を作成しました。三国の里山でどんなことがしたいか、どんな森をつくりたいか、そしてそのために必要なことは何か。ワークショップ形式で参加者同士がアイディアを出し合い、考えをまとめました。前回とは打って変わって雪の降るなか、会場は徐々にヒートアップ。各グループでプランを発表し、第3回の活動内容が確定しました。
前回活動の意義が「人と里山との出会いの場をつくる」ことにあったならば、今回の活動は「里山について想いをめぐらし、異なる意見を交換する」ことにあったといえるのではないでしょうか。三国の里山はかつて一面のマツ林であり生活資源の宝庫だったこと、そして今日の里山が荒れるに至るまでの背景には、第二次世界大戦と高度経済成長を経て、住民の生活形態が変化とともに、里山の変遷があったことがわかりました。
次回第3回目は、松枯れ伐倒跡地に三国で採取した種から苗木に育てた「トベラ、シロダモ、ヤマザクラ」を植樹し、コナラを中心とした雑木林は遷移させず今の状態を維持していくため下刈りを行うことになりました。
「森の健康診断」おさらい
忘れないうちに前回の調査結果をおさらいしておきましょう。調査地は、コナラを中心にした雑木林(A〜C)、ヤブニッケイを中心とした常緑樹林(D)、枯れたマツの伐倒跡地(E・F)でした。それぞれどんな森だったかというと・・・
診断結果について講師の平山先生に解説いただきました。表にしてみると、どの調査地にも最初に生えていた木はマツで、今の森の王様はそれぞれ違いますが、跡継ぎは共通の樹種であることがわかりますね。 森の姿は必ず移り変わっていきます。それを決めるのは、樹木の光の要求量の違いです。一番光を要求するのはマツです。マツ林の下で生きられる木は、ちょっとぐらい光が少なくても大丈夫。さらにその下でも育つ木は光が少しで済む。逆にタブノキの下にマツ林は育ちません。森には成長の段階があるのです。
三国人の里山利用
小高い陣ヶ岡の丘陵地にあがれば、ほぼマツ林だった三国の里山。その理由は…?元陣ヶ岡区長の田賀憲秀さんにお話を伺いました。
「利用価値がものすごく高かったからでしょうね。マツの葉をシャデというのですが、これは焚き付けになり、枝も燃料になる。ですから、食事、風呂、暖をとるのにマツはとても重宝したのです。残った部分は垂木、縁板になる。クロマツは拭き艶があって縁板にいいんでしょう。福井の全域でそうしたマツの使われ方がされていたと思いますよ。 陣ヶ岡では主に主婦がマツ林にシャデを取りに行っていました。陣ヶ岡の男衆は、夏は瓦職人、冬は杜氏に出稼ぎにいっていたので、あまり農作業とか林業とかはやりませんでしたね。瓦づくりにも燃料としてマツを利用してたと思います。徴兵制で男手をとられたので、丘陵地に3、4軒あった瓦工場のほとんどは戦前にやめましたが。そんな風にして利用したから林はきれいでした。マツ林に間伐と植林をしていましたが、これは家族単位で男も女もやっていましたね。 なかには抱えるぐらいのマツもあって、街中の川縁に数軒あった木材屋さんに売ったものです。その材は地元の人が買いました。昔は木を売って娘を嫁に出したなんて話もよく聞いたものです。
マツ林では「シロマッタケ」がとれました。それからシメジ、クリタケ、シバタケなんかはあたり一面に生えていましたよ。クヌギの林を利用してシイタケ栽培が始まったのは最近のことで、陣ヶ岡では昭和23,4年頃のことです。 戦後の食糧増産で森は切り開かれて畑になりました。畑もそんなに儲からないのでその後住宅になりました。今は林地を買う人もいませんが、先祖の山を二束三文で売るわけにはいけない。木も売れないし、売れたとしても管理ができない。山が荒れるのは仕方ないことかもしれません。」
また、安島自治会長の下影さんはこう言っています。
「シャデを拾ってくるのは子供の役目で、小学校が終わって拾って帰ると親が喜んでくれました。流木も含めてそれらを「ひらいもん」といいました。50年前ぐらいのことです。大人は枝打ちをしてましたね。それを絡げて積み重ね、藁をかぶせておきました。家の2階には屋根裏があってそこにストックしておくんです。吹き抜け部分があって、そこから一階に落としては燃料に使っていました」。 そして、米ヶ脇の副区長の畑野さんは 「こどもの頃米ヶ脇の坂でスキーをしていましたら、安島のお母さんたちが背中にマツの枝を背負って湊のほうに歩いていくのを見たことがあります。薪を売りに行ってたんでしょうね」。
三国の里山は生活資源の宝庫だったんですね。シャデ拾い、間伐、植林、そしてキノコの収穫。里山への関わりを通じた暮らしは、今でいうエネルギー教育や食育の場でもあったようです。そんな里山利用の一方で、雄島は神の島として、生活世界とは別次元の森として住民によって守られていたことを考えれば、三国には森への様々な接し方があったといえるでしょう。
「森を見れば時代がわかる」という言葉がありますが、荒れた里山は現代のライフスタイルを鏡のように映し出しています。でも今はふたたび里山に入っていく時。これまでがそうであったように、三国の里山に「こんな森をつくりたい、こんなことをしてみたい」アイディアを色んな立場から出し合って—収穫の森、燃料の森、遊びの森、安らぎの森、体験の森、景観保全の森、温暖化防止の森だっていいでしょう—プランをつくってみましょう。さあ、各グループに分かれて話し合いです!
森づくりプラン開始!
「風呂入って焚き火して、星を見ながらお酒を飲みたいな」
「いいですね、それ。でも自分がこどもだったらって考えてみましょうよ」
徐々にアイデアを紙にまとめていきます。
森づくりプラン発表!
A・Bグループ
個人的にサクラが好きなので(笑)、ヤマザクラを東尋坊の入り口に植えたいと思います。そしてクリが拾えるところをつくって、その奥には照葉樹林を。遊歩道などを通って歩けるところがあればいいなあと思います。東尋坊にさしかかると四季の色が広がってくるような。東尋坊レーダーから安島までの道も同じようなイメージです。
夢のある森がイメージです。まず歩ける道を幾つかつくりたいですね。今は10mの先にも入れない森なので散歩ができるように。そうやって里山のいろんな宝物を掘り出したいですね。遊びを中心にした活動と保全とをやっていくのが理想です。
今ある森を大事にしながら、気軽に里山に入ることができ、木の実を拾ったり、生きものに出会ったり、自然に触れることができる森、共存していくような森があったらいいなと思います。
C・Dグループ
森を三つのタイプに分けてみました。まず海岸には防風・防潮林を、次に自然学習の場として雄島・滝谷寺のような照葉樹林は手を加えずそのままにしておく。最後がメインとなる雑木林ですが、獣道や湧水、生物多様性を活かした里山づくりを触れ合い、遊びなどを目的として行う。里山に色んなポイントをつくってそれらを結んでいく里の道づくりも面白いと思います。
E・Fグループ
「陣ヶ岡の山と遊びたい」というのが基本です。遊ぶというのは、自然にダメージを与えずに愉しむことです。
キャンプ、バーベキュー、花見、散歩、それも森林ガイドの説明を受けながら歩けるといいですね。露天風呂に入って焚き火を囲みながら、お酒を飲んだり、読書をしたり。多少不便でも自然と触れ合いたい。自然のものと折り合っていきたいと思います。
では発表された森づくりプランをまとめてみましょう。「三国の里山全体でどんな活動がしたいですか?」
「三国の里山全体はどのような森になるのが理想ですか?」
実現のために
さてさて、色んなプランが発表されましたが、それを実現していくためにはどんなことが必要なのでしょうか?
平山先生に解説いただきました。
「「歩きたい」という希望が多かったですが、さしあたり必要なのは枯れたマツの撤去。何をするにせよ危険なのでここからスタートしましょう。次にルート選びです。それから地権者との相談も必要ですね。歩道の維持は結構大変な管理が必要です。 希望のあった活動の多くは上図Cの雑木林で行えます。照葉樹林に対しては手を加えないとして、マツ林と雑木林はそれぞれ落ち葉かきで林床をきれいに保ち・除間伐と下草刈りを行う必要があります。どのくらいの頻度が必要かは利用目的により異なります。ササ刈りは年2回ぐらいでしょうか。サクラとクリを育てるには他の木に栄養分がいかないように間伐し、木と木の間隔を保ち、樹高を低く維持して育てます。コナラは木の性質を利用して、萌芽更新—つまり切り株を残して伐採しそこからニョキニョキと芽を出して若返りをはかります」。
これを受けて3月8日(土)の実践活動を話し合い、自生する植生を尊重するという方向性のもと松枯れ伐倒地に三国に自生するトベラ・シロダモ・ヤマザクラの植樹を行い、コナラ林には枯れマツ伐倒とササ刈りをすることに決定しました!
まとめとして井上先生から今回の活動に講評をいただきました。
前回の調査の終わりに「今ある林をどのような林にしていくか、皆さんがそのとき感じたことをもとにディスカッションしていただくのが一番いい」といいました。今回、「わしゃもう植えるんじゃ」という意気盛んな発表や、「こういう方向性でいこう」という全体を見通した発表など、様々なプランを聞くことができました。
今日は夢を語りました。これから実際にどのような施業をしていくかは、もう少し詳しい話をしていくことになると思います。要望として多かったのはコナラ林の活用でしたね。コナラの林を里山全体の中間にあたる地帯につくっていくのも面白いのではないでしょうか。 ナラの文化は、ヒマラヤ山脈を境にして東が落葉ナラ、西が常緑ナラの分布地帯があります。マツは朝鮮半島から入ってきてると思われますので、もともとはナラの林と考えていいでしょう。最近、薪やペレットストーブの話も出てきましたし、もともとシイタケの原木として利用していたのですから、これまでとこれからの三国の里山利用を考えても十分根拠のあることだと思います。
ただマツ林にしろコナラ林にしろ、絶対に人手を入れなきゃ維持できない林です。それだけは心しておいてください。
サクラ、モミジの希望もありましたね。サクラも自生していますし、観光面を考慮すると寿命の長いエドヒガンもいいと思います。 今は被圧されているヤブニッケイ、タブノキに導入していく方向、コナラ林を維持する方向、コナラを一定期間利用しながら将来的には照葉樹林に移動していく方向、色んな方向性があっていいと思うので、皆さんの創意にもとづいてそれらを伸ばしていってください。
最後にNPO法人三国湊魅力づくりPJ副理事長の山崎一之より挨拶申し上げました。
「今日はお忙しい中足を運んでいただき、本当にありがとうございます。少しづつですが里山がどういうものか見えてきたのではないでしょうか。町中の人も農家の人も、山がどうなろうが関係ないという生活を送ってきたと思うんですけれども、実際に山が荒れてみると「これが三国の財産だった」とよくわかるのではないかと思います。様々な事情により里山にまったく手を入れなくなった今は、いわばゼロ地点であり、スタートラインです。「森の健康診断」、「森づくりプラン」とステップを踏んできました。三国の財産をよみがえらせ、こどもたちが入っていけるような森づくりを目的としまして、今後も活動を続けていきたいと思っております。皆さんのご参加と御協力をよろしくお願いします。」
「三国湊 緑のリレープロジェクト」第2回目も無事終了!長時間皆さまお疲れ様でした!次回は3月8日(土)に、トベラ・シロダモ・ヤマザクラを松枯れ伐倒跡地に植樹し、コナラ林の枯れマツの間伐および下草刈りを実施します!ぜひご参加ください!