第十一回 不思議な国のマドロス / 樋口裕一
2010.10.05 by mikuni.minato
完成が近づくにつれて、日々さまざまな人が現場に訪れるようになり、空間が人やものを招き受け入れる器として徐々に機能しはじめたことにふつふつと喜びを感じています。
柱や基礎の建てこみのときは現場は常にざわざわしていた感じで自分自身もおちつきというものがありませんでしたが、ここ数日は現場で一息するときなど、いつの間にか不思議に落ち着く心地を感じています。その落ち着きは三国の土や木などの素材が物語る安心感からくるのかな。
それにしても、この十月十六オープンの湊文庫。
今回アートで町の魅力づくりになんか付与できるもんはないかというところで参加させていただくことになったこの企画。
はじめは壁ひとつつくるところから始まって、
それが様々な人々や町の歴史や風土との関わりの中で規定を超えるプランを描いてしまいました。
そのことでご迷惑をかけてしまったこともたくさんあると思いますし、そのことに関しては申し訳ありませんでした。
しかし、その想いをNPOをはじめとする地元の方々に徐々に受け入れてサポートしていただく中で、展示だけではなく施設としての試験的運用へと話が移行していきました。自分にとっては、自分が言い出して働きかけた事でありながら、実際決まって動き出していくのを目の当たりにするといかんせんそういった経験がない為なんというかびっくりというかわくわくというか、へー、にゃるほど、おもしろい、と思った。
ロゴができ、和碇のシンボルマークができ、ボランティア募集のチラシができ、らくがきノートができ、本の収集がはじまり、いろんなことがプロジェクトとして動きだす感じは、自分には特にとても新鮮な感じがします。
はじめはひとりで制作しているような感じで、町に知り合いもおらず、自分が異邦人として外から町を眺めている感じでありましたが、今では様々な人々との関わりの中で、町の風景の中におぼつかないながらもちゃんと立って(これは他所様からどう見えるかといったハナシではなくあくまで自意識の問題であります。)制作に向かえているような感覚があります。
そして、できた空間は自分の手から離れて、今度は町に委ねられてゆくのだと思うと、不思議な感じであります。
この不思議な感じでいるというのは、自分がものをつくるうえでとても大事。
自分でコントロールが完璧にできて、思い描いた通りのものができたら、それは全然不思議じゃない。
図面に忠実なものをつくることより、粘土をこねながら、からだを動かしながら瞬間ごとに変化しつづける自分と対象のあいだで対話しながらかたちをつくっていく、そんなことに自分の適正がある。ずーっといろんなスタイルを試行錯誤して自分の脳みそもからだもそういう志向があるのがようわかった。
不思議と感じることは自分を越える不確定な要素を受け入れるということ。
僕が土や木や古材に惹かれるのはエコだからじゃない。ただ圧倒的に自分を越える存在であり、不思議な魅力が尽きないからだ。ディズニーランドよりも波打ち際や廃材置き場や採土場のほうが不思議な国のワンダーランド。
あやや。なんか話が逸れた。話がいつのまにか逸れるのは癖であります。
しかし脱線こそ粘土式ものづくりとしての本筋であるような気もしたり。開き直って言うならば!
未熟なところは自覚しつつ、開き直って自分の業を引き受けていくんや。
普通に野菜つくるようにものづくりしとんねん。芸術とかそんな言葉どうでもええねん。
ええもん目指す気持ちはひとつや。
自我を超えとるもんはどっか広い世界ときっとつながっとんねん。
無心で祈るような想いがあれば…
とにかく、オープンまであと10日!祈るように塗る。捧げよう。