第九回 泥にまみれて泣いている / 樋口裕一
2010.09.10 by mikuni.minato
塗り出している。釘に麻紐つけたものを一層目を塗った土の上から下地の柱に打ち付けて、あとで麻紐を放射状に広げて塗り伏せているところ。文章で書くとわかりにくい。とにかく強度補強。
話せば永くなるのですべて省くけど、ここまでがいろんな意味で長かった。
今回の制作に限らず、ここ4、5年のいろんな犠牲や労力や感謝や準備や経験の上に、まだまだおぼつかないけれども今ここでようやく塗っているかんじ。
毎日勝負です。怖くて楽しみな、この感覚は、昔大阪からママチャリで静岡まで走ったとき、真夜中、一寸先も真っ暗な闇の中、下り坂を震えながら突っ切ったあの感覚に似ている。
手さぐりで進むのはときに心細く、試練ばかりだ。けれどそこに得難いものがある。
不安定になると何か拠るものを人は求める。
宗教とか、地位とか、お金とか、恋人とか、信念とか、肚とか。。
哥川、かつて三国が湊町として栄えた頃、遊郭の遊女の身であった彼女にとってはそれが俳句であっただろう。
今の僕にとっては、土に全身で触れることだろうか。風景の中で雨や光や風が踊るように。自分も現象の一部であるように。旅をしていると風に吹かれて飛んでいってしまいそうになるけれど、その土地どちの風土に向き合うことで地に足をつけているような。
全身土色に染まってもいい。
泥にまみれると汚れるからいやだということがあるけれど、人もやがて土に還るものやったらほい、土から生まれた野菜を食べて空気を吸っといて、汚れるはないと思うんだけれど。むしろ生の本質に近づくことで清浄化される気がするのだけれど。
ところで現場近くの猫、いっぱいおるけど、皆警戒心強いなあ。
猫好きな自分としては近寄れないのは寂しいぜよ。車社会で苦労しとんかなあ。
さ、ビールも飲んだし寝ます。明日もがんばるぞっと。
どっどどどどどう
どっどどどどどう
おれは荒磯の生まれなのだ