アート

第五回 廻る〜廻る〜よ 時代は巡る 喜び 悲しみ繰り返し

2010.08.23  by

塗り壁がしたいのだけれど、「土台無理なハナシや!」と、既存の下地が使えないとわかってからというものの下地作りにずうっと慣れない大工仕事にかかりっきりの日々であります。 建築においても修練に於いても土台というものの大切さを痛感しております。材木屋、建材屋、金物屋などで勉強させて頂き、設計士さんや左官屋さんの御教授などを仰ぎつつ地元の学生の手助けを得ながらなんとかかんとかやっている次第であります。
先ずはできるだけ下地作りを早々に完成させること。古い道具の再利用と節約に固執する事で、慣れない作業とはいえ少々効率が悪かったことは否めない。古い道具の中でもきちんと手入れすれば使えるものもあるけれど、古いものでさらに安価なものの中には似ても焼いても使えない上に部品交換ができないというものもある。手を入れて生き返るものと、そうでないものの見極めをきちんと出来るようにならなければいけない。結局、丸ノコなどの切断工具などに関しては高い買い物であったけれど一生物だと思ってちゃんとしたものをちゃんとしたお店で購入した。変なものを使って怪我をしたり無駄な時間を費やしたりしてはいられない。
制作が滞ることのないようにどんどん前に進んでいかなくては。 古材、小道具をアレンジして蘇らせるという事は一から新しい材料でつくることよりも手間も知恵も必要のようだ。しかしそこでの素材との対話というものがものづくりの醍醐味であると思う。しかし、その対話の時間は短期的な経済的効率とは馴染みにくいところがあると思うけれど。 単純な効率市場主義に拮抗する要はその素材との対話にどれだけの価値を見出せるかということだろうか。僕が古いものに惹かれるのは、懐古趣味ではありません。時間を纏ったその素材の風貌に詩情のある物語性を感じて、あぁ、この素材は生きている、と感じるのです。そしてなにかその素材と自分の間で何か時間的にも空間的にも拡がりのある豊かな交流を感じるのです。

それは、樹脂でコーティングしまくって何年建っても新築同様のピカピカを保つ新建材には持ち得ない顔であります。新建材は、死なない。そもそも木や土の様に自然に生まれたものがたまたま壁や柱になった成り立ちとはちがい、はなから建材のためにと合成されて人為的につくられたもの。あくまでそれは建築資材でしかないもの。それはがちがちに固められて呼吸もしない。生まれてもいなければ、死ぬこともない。やがて、壊され、廃棄されるだけ。 人が生まれ育ち、やがて老いて死ぬようにともに寄り添って生きるたてものもごく当たり前のようにそうあって欲しいという望みがあります。 そしてあるたてものが役割を終えて死ぬときに重要なのが、それが次の生命の苗床になれるのかどうか。自分にとっては、上の世代から譲り受けたものを地肉にして活かすことができるか。 温故知新。 未熟な自分には沢山学ぶことがあります。

ところで、現在作業を手伝って頂ける方を募集しております。
天上の清掃作業や柱を建てて木の桟を打ちつける作業や土を練る作業などや、ガラス玉(浮き)に穴を開けて照明をつくる作業などを予定しています。一日だけでも構いませんので、お手伝い頂けるかたは下記までご連絡下さい。
yui-ti@i.softbank.jp 是非とも宜しくお願いいたしますっ。

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