きっかけは、蔵の整理から
創業200年を誇る商家・近藤家には、もともと数多くの古いものが残されていました。4代目当主が亡くなったのを機に夫婦で蔵の中を整理してみると、出て来たのは様々な骨董品。これらは一体いつ、どのようにして使われていたのだろう?調べてみよう、ということで、夫婦で美術館や骨董商に出かけたのがきっかけでした。その頃は価値もまだよく分からず、捨ててしまったものも。『勿体ないことをしてしまった、もっと良い物を集めよう』と思い立ち、趣味として骨董を集め始めました。そのうちにどんどん人や物が集まってくるようになったので展示空間を設け、やがて自然と商売になったのだそう。
『まさか商売にするとは夢にも思わなかった。』
これは、生前のご主人の言葉。「ミイラとりがミイラになったんですね。」と、笑いながら昔を振り返る克子さん。こうして、骨董品を求めて全国各地を夫婦で回る生活が始まりました。夫婦どちらも江戸時代に建てられた家で生まれ、古い物に囲まれて育ってきた者同士。2人にとって骨董商は、自然な流れだったのかもしれません。
以来、どこへ行くにも一緒だったというご夫婦。どちらかが感動した逸品は、もう片方も同じように感動していた、なんてこともしばしば。周囲からは「貴方達は2人で1人だね。」と言われるほど、いつも一緒に行動を共にしていたご夫婦でした。
主人が残してくれた仕事
3年ほど前のある日、ご主人が克子さんに尋ねました。
「おまえは、わしがいなくなっても、この商売をするんか?」
突然の質問に驚きながらも、「出来たらやっていきたいわ。」と答えた克子さん。するとご主人は、こう続けました。
「それなら、誰彼に売る為に買うのではなく、自分が欲しいと思う物を買うんだよ。そうすれば売れなかった時でも、「なんで売れ残っているんだろう。」と思わなくてすむ。そう思ったら皿にも失礼だろう。自分が気に入ったものなら、いつまでお店に残っていても、気にならないからな。」
この言葉の2?3日後、ご主人は急遽。時が経つにつれ、あれが遺言と思うようになりました。それ以来、今度は克子さんが中心となって、お店を続けているのです。
以前は、骨董オークションで競り落とすのはご主人の役目。けれど20余年、横でご主人の競りをずっと見て来た克子さんには、オークションの術が既に身についていました。
買い付けの際に迷った時は、お仏壇に手を合わせ、ご主人に相談します。そうすると、「買え!買え!」とか「やめておけ」とか、ご主人の声が聞こえてくるのだそう。「自分で、自問自答するんですよ。主人が生きてたら、どうするかな?ということを考えると、分かるんです。」
亡くなった今も、ご主人は克子さんの心の中でずっと生き続け、いまでも“2人で1人”ということに変わりは有りません。
「今でも、主人を忍んで多くの人が訪ねてくれる。主人が私に、この仕事を残してくれたんです。」
亡くなる5年前から、体を患っていたご主人。それでも元気に全国を駆け回る人でした。“こだわり”が強く、頑固な人でした。商品が一個でも売れると、お店全体のバランスが変わってしまうと言っては、頻繁に模様替えをする人でした。その度「そんなに変えなくても、一緒よ。」と眉をひそめていた克子さん。けれど今、気がつけば自分も同じように模様替えをしています。昨年末、格子戸を入り口に取り付けた時もそう。三国の街を駆け巡り、家にあう格子戸を調べあげ、気になって夜中に飛び起き自ら図面を描き、翌朝大工さんに手渡してしまうほど。床板の色が気になると、自分で塗ってしまうことも。それほどの“こだわり”が、いつしか自分の中に芽生えていたのです。家族は周囲の人は、そんな克子さんを見てご主人のことも思い出します。まるで、2人が1人になったように…。
「主人だったら、こうするんじゃないかな、というのが、常に頭の中にあります。」
三国の文化を三国に残しておきたい
「常にいいものを買うように、努力しています。買うよりも、皆が来て集まって、楽しめる雰囲気づくりをしていきたい。」
今もなお、ご主人と共に歩んでいる克子さん。店の裏には水琴窟のある中庭があり、その奥にある天保13年建の蔵を資料室として解放しています。ここでは、三国箪笥を中心に名工の技が光る箪笥の数々を展示。「三国の貴重な文化を流出させてはいけない。三国に置いておかなければ。」と、ご主人と2人で壁や床を塗り、作り上げた空間です。これほど貴重でな三国箪笥を大切に保存し、ずらりと並べた空間は他にありません。心が落ち着き、暖かくなる空間です。
「買えなくても、時々遊びに来ていいですか?」
その素晴らしさに感動して思わず尋ねると、快く頷いて下さいました。三国の歴史と同時に、ご夫婦の愛に感動した素敵な取材となりました。