三國湊座ができるまで:発端
2009.11.01
北前船の湊町として賑わっていた三国の町。
かつて、この町には、三國座・みなと座などの芝居小屋がありました。
この芝居小屋は、芝居だけをする場所ではなく、映画を上映したり、音楽の発表会や、三国に鉄道が開通した際には、みなと座で、セレモニーが開かれたりもする、そんな場所でした。
設備としては、回り舞台や花道、桟敷などあり、梁には千石船の帆柱が使われていたそうで、湊町にふさわしい贅沢な劇場だったのでしょう。
明治二十一年のみなと座改修の際には、板東太郎や尾上多見太郎などの役者が訪れて、千代萩の御殿や累《かさね》の土橋などが演じられた、との記録もあり、近年まで、今は無きこの三国の劇場では、金色夜叉や国定忠治などの親しみ深い芝居も含め、様々な演劇が上演されていたそうです。
★三國湊座の名は、かつての「三國座」「みなと座」が存在していた時代の三国の賑わいを再生していこうと、その名前をいただいて付けられたものです。