第2回ふくいミクマリ会議~基調講演~

2回ふくいミクマリ会議

日時:2010227(土)

1部 基調講演 13:3014:30

「森林(もり)の可能性~未来につなげる森づくり~」

講師:鋸谷茂(おがやしげる)氏(フォレストアメニティ研究所副所長)

皆さん、こんにちは。ただいまご紹介いただきました鋸谷でございます。私は実はこの場所は非常に懐かしい場所でございまして。30年前、ここに県の合同庁舎がありました時に、5年間ここで仕事をさせていただきました。当時は木造の非常に古い建物でしたけれども、こんなに立派な建物になっているとは、夢にも思っていませんでした。そういうところでお話をさせていただくことを本当に光栄に存じ上げます。

今日はですね。森林の可能性ということでお話させていただきますが、森林の可能性っていうよりも、森林は人間にとってどれだけ必要なのか。また、今まで我々が、今ある私たちというのは、数千年前、数万年前から延々と命を繋いで現在にきているわけでございますけれども、その間に非常に山と関係が深かったというようなところから、お話をさせていただきたいというように思います。まず、ここは三国町でございます。漁業の町でございますから、漁業と林業がごく最近まで関係があったんだというようなところをお話ししたいんですが。

実は海のなかで、海の上で、ここが一番よく魚がとれるんだよという場所を、どうやって位置を確定していたのか。どう思いますか?海のなかにいて、ここはいい場所だよと想定できませんよね。だけどそれは、この場所がいわゆる棚になっていて、そこが魚が獲れるんだというようなことは漁業者の人は知っていたんですが、その場所を特定するために山と木というのは非常に関係してきたんでございます。それはですね、山当てということをやりました。例えば、ここに丸岡にあります竹くらべの山があります。そしてここに海岸がございますね。ここに雄島がある。そうすると、山、この雄島とですね、竹くらべを結んだこのライン。それからこちらに福井の国見岳がある。それから、ここに1本なにか木が立っている。木がある。そうすると、この木とこの木を結んだライン。ここがよく魚がとれるんだよというようなことでですね、山当てということをやっておりました。そしてこの山のことを「当て山」、そしてこの木のことを「当て木」と言っておりました。こういうことで山は漁業とも関係があったわけでございます。そうしますと、こういう山とか木というものは漁業の人にとって非常に大切なものでございます。自分の生きる糧がここにあるわけですからね。その場所を特定してくれる場所でございます。ですからこの山が信仰の対象になったわけですね。信仰の対象になった。そしてこの木も、信仰の対象になった。そうしますと、ここにお宮さんを建てる、山の上にお宮さんをつくる。もちろん雄島にもお宮さんがあって当たり前。こういうことで、自然のものそのものが我々人間にとって必要なものを与えてくれる、そういう神聖な場所であり、大切なものであったわけですね。だからこういう木が切られないように、切られないようにしめ縄を張るというようなことをやってきたわけです。そうやって大木というのは守られてまいりました。ところが、ごく最近なんですよ。こういう木をむやみやたらと切ってしまう。戦後の木材が高く売れた時代にですね、こういう木をいとも簡単に切ってしまいます。私も、私は高浜の出身なんですが、高浜にも漁業者の方がたくさんいらっしゃいます。そこにはですね、山の上に、山の頂上じゃなしに山の中腹にあるすごく大きな木があったと。木があった。この木がですね。切り株が畳8畳分あったと言われるような木があった。それは、山の人じゃない、海の人が切るんですね。そういう木があって、その木とあの岩を結んだライン、それからこういうところから結んだラインで我々は漁業していた。そこが一番よく獲れた、というようなことを仰る。随分この距離はあるにもかかわらず、木を見つけた。目印にしていたというような。そういうことで、山というのはいろんなものを生み出すもとでもありました。

日本に稲作が入りますまで。これはですね、山で生活をして参りました。山にはですね、衣食住、全てまかなってくれます。まず食べ物。いわゆる狩猟をする、というのもあれですね。食にあたります。それから獣の皮を使って着るものを作る。もちろん住む場所に木を使って家を作るというようなことで、稲作が入るまでは本当に山のなかで人間は、日本人というものは生活してきたわけです。こういう山ですから、非常に山というのが大切にされている。山は全てのものを、人間が必要とする全てのものを生み出してくれる場所なんですね。生み出してくれる。で、人間にとっては、毎年ですね、食べ物、木の実を採る、あるいは山菜を採るというようなことをしましても、明くる年になりますと、また同じように同じものを作ってくれる場所。非常に大切なそういう場所ですから、その場所をですね、決して荒らさない。決して汚さないという、そういうものでございまして、例えば獣をとるにしても、山がありますと。山があってですね、こちらに里がある。そうすると獣をとるにしても、山裾のいわゆる里山というところに出てくる獣は一年中とるでしょう。だけどこのラインから上のところ、ここは一年のうちに限られた期間しかここには入らないというように、きちんと区別をしてですね、この自然を守ってきたわけでございます。そういうきちっとルールをそれなりにその地域その地域で作ってですね、生活してきたもので。そのことがですね、いろんな物を産んでくれるということで、この山というのは、いわゆる山自身が神様という扱いですね。ですから、日本の御神体という、いわゆる神社の御神体というのは、山そのものが御神体というものもありますし、木そのものが御神体というような形で残っているわけですね。昔の人たち、古代の人にしてみれば、例えば人間が生まれてくる、あるいは動物が生まれてくるというのは、実に不思議なことですね。まあ、今でも不思議ですけれども、実に不思議なことです。なぜ人間は生き物は生殖によって生み出されるのか。実に不思議なこと。ですから女性というものは、子を生み出してくれる。山というものはひとつの女性に例えるんですね。山には神様が当然いると。山そのものは神という存在ですから、この神はですね。山の神は当然、女性なんですね。女性。物を生み出しますから女性の神。やまんばという言葉を聞かれたことがあると思います。やまんばは、まさしく女性であります。醜い女性。醜い女性。やまんばというのは、その子が金太郎ですね。金太郎。金太郎は獣をコントロールする。熊に乗ってですね、コントロールする。そういう働きをしたわけです。こういう時の言葉が、今でも皆さん方は使ってらっしゃる。家の、結婚してですね、お嫁さんをもらいますと、いつの間にか「かみさん」って言いますね。「うちのかみさんが」って。いまはかみさんっていうと上という字を書きますが、もとはこちらなんですよ。神様なんです。全ての子を生んでくれる。生んでくれる。その生み出すということが、いわゆる神そのものだったんですね。大切にしなければ。ですから、ある一定の水準を超えて無茶はしちゃいけないですね。そういうことは、もう昔の人は本当に絶対的なものだったわけですね。

ここの山に入って、奥山に入ってですね、狩猟するという時は、平地で使う言葉は絶対使っちゃいけない。山言葉というのを使ってました。山言葉。今の私は山言葉は知りませんからあれですけれども、ここへ入る時はもう全て、自分たちの平地の言葉は一切使わない。山言葉というものを使ってですね、やりました。例えば熊なんかもシシとかですね。いろんな言い方をして、使っていたんですね。

そういうことで、その山の神様ですね。今度は下で稲作が始まります。いわゆる弥生時代と言われますけど、なんかそれよりも最近は昔から稲作があったようなことをね、言われておりますけれども。稲作が始まりますと、ここの山の神様はですね、春になると平地へ降りて来て、田の神になる。秋になると、また山の神として山に上あがって行かれる。こういう信仰ができております。山の神がですね、田んぼに降りられる。その時に田んぼがしっかりといい米がとれるように、水をしっかりと配らなければいけない。どこへでも。いわゆる水配(みくまり)という。ミクマリ会議、とありますが。いわゆる神様の仕事だったわけですね。そんな神がですね、谷を降りられても、やはり山には必ず秋になると帰られるということでございますね。そうやって人の生活に利用された里山。これはですね。実は人間が生活するために、ことごとく使ってまいりました。昔はこの山の中で生活しておりましたし、人口も少なかったわけですから、それほど荒れることはなかったんですが、ここに田んぼができるということになりますと、たくさんの人を養うことができます。そうしますと、たくさんの人ができるとですね、いわゆる燃料が必要になります。燃料はどうしても山から切らなければいけないということで、いま問題になっております里山というのは、すごく重要になったわけです。生活の一部として、この山を利用してきた。ですから、明治の初めには日本の人口の3000万くらいですか。3000万くらいいますと、あちこちの、この坂井平野でもですね、山から木を切って出して来なければいけない。それで暖をとらなければいけない、あるいは煮炊きをしなければならないということで、すごく山奥まで木をとりに行きました。ですからこの地域の、例えば三国の山なんていうのは、恐らく裸山だと思いますね。ごく最近まで裸山だと。私は実は3年前まで、この三国の新しい合同庁舎に仕事でおりまして。海岸の松の木がどんどんその頃、枯れておりましたので、結構大きな木を切りまして、そこに新たな松の木を植えたり、あるいは他の木を植えたりという仕事をしていました。その時に太い木を切って調べましたが、ほとんどがですね、やはり、この地域の松、平坦部ですよ。岩場は別ですよ。平坦部の松というのは、戦後に植えられたものですね。戦後に植えられた。30年前に結構大きかったと思った木もですね、実はそんなに大きくなかったんですね。戦後に植えられたもので、だいたい当時でも50年生ぐらい。あるいは50数年生ぐらいのものがほとんどでございます。どこで切ってもそれぐらいでしたね。当時は、恐らく戦後までは。戦前ですね。戦前、戦中まではですね、そこにいわゆる芋を植えたりですね、食料増産のためにそういうふうに使っていたと思いますね。山というのは、とにかく人口が増えたりなんかしたことによって、木を切って、ことごとく利用した。今でこそですね、山をうまく利用していたというイメージでしか里山を見てませんけれども、私から見れば、ことごとく里山というのは奪略していた。奪略することによって、我々は生活をしていたんだ。過去の人たちはしていた。この近くに、丸岡には丸岡城がありますが。あの丸岡城のですね、明治時代の写真をあそこに掲げてある、飾ってあります。あの写真を見ていただくといいんですが。あの丸岡城ですら、裸なんですよ。山の上にぽつんとお城が建っているだけ。あと木も何も生えていない。いまはケヤキの立派なのが生えていますけれども、あれ、江戸時代からあったわけじゃないです。明治以降のものですね。明治以降。とにかくそういうところの木まで使わないと生活できなかった。30年以上前に韓国へ行かれた方、いらっしゃいますか。30年以上前。もしいられたら、ちょっと手を挙げてください。いらっしゃらない。私、30年以上前に行った人に話を聞きますと、韓国には木がない。我々の先輩ですが、韓国の山は木が生えていない。いま行きますとね、私も数年前に行ったんですが、韓国は若い木がいっぱい生えています。いま。山が豊かになっています。これはなぜかというと、韓国が経済力をつけまして、山に燃料を求める必要がなくなったからですね。だから山に木が生えるようになった。ですから松とかそういうものが、いま一生懸命植えて育った状態で、今あります。そんな韓国で大木の木を見たいと言ったって、一本もありませんよ。一本もと言うと語弊がありますね。我々が車で走る、バスで走るにしたって、見えるとこにはございません。

そのことが証明されるのは、板門店へいくと良く分かりますね。板門店に行きまして北朝鮮をの方を見ますと、北朝鮮の山って禿げ山なんですよ。ことごとく禿げ山なんです。木が生えているところがありません。とにかく北朝鮮も経済力ないですから、全てとにかく山から切って、芽が出れば、それはもう、人間の食料ですね。はい。少し木が大きくなったら、それはもう燃料。ですから、もう本当に柴山があるがごとく、もう、北朝鮮側はずっともう、木がありません。そんな状態が韓国もごく最近まであったんだと。実は日本も戦前までは里山はそういう状態だったんですよ。日本は偉いのは、その里山であっても、神社とかそういうところは木を切らなかった。それと日本の山ではですね、例えばくずれ谷とかですね、ガラガラ山とかね、そういう小字名がついているところってのは、木を切ると崩れるよということを代々伝えておりますから、そういうところの木は切っちゃいけないということで、切っておりません。だから雨が降っても、その災害というのは、案外少なかったんですね。案外少なかった。で、薪とか炭とかを作るために木を切りましたけれども、その木はどういう木かといいますと、いわゆる簡単に言えば、ドングリの木なんですね。ナラです。ナラの木というのは、一旦切りましてもですね、すぐ萌芽(ぼうが)という、芽を出してきてくれます。はい。これ地面です。はい。木が生えています。実はここに根っこが生えています。木は必ず根っこが生えます。ナラの木というのは、いわゆる炭にするとか薪にするとかいうときのナラなんですが、これを切って利用します。だいたい20年から30年で、炭に焼ける、あるいは薪になるという大きさになりますから、ここを切ってしまいます。切ってしまいましても、ここから、専門用語で萌芽=ボウカ=というんですが、新しい芽が出てきて再生してくれます。芽が出るということは、下の根っこはそのまま残っています。ですから山崩れを起こさない。そういうバランスのとれた、バランスのとれたというか、きちっとそういう木を切っても大丈夫な山で、日本人はしっかりと木を切ってたわけですね。だから案外、山崩れは少なかった。少なかった。ところが問題が起きましたのは、戦後です。戦後の物がない、それから都会、福井もそうですが、とにかく爆撃によってですね、家がことごとく焼き尽くされてしまいました。そのために山にある木をどんどんどんどん切って、近くの山から、一番近くから切り出しますから、木を切って、家を建てる。そして燃料は薪にして使う。こういう木を切ってる時はいいんですが、問題は杉の木でございます。杉やヒノキの木。これを切って家を建てますと、杉とかヒノキというのは、これを切ってしまいますと、杉やヒノキはですね、もうここから芽が出てくれないんです。もう、これで一生終わりなんですね。終わりでこれは全部腐っていってしまいます。腐っていってしまいますから、山の保水力もなくなる、地面の土をぎゅっと固めていたその力がなくなりますから、一気に雨が降ったりしますとですね、山そのものが崩れてしまうということで、戦後20年代、あるいは30年代の初め頃、あちこちで山崩れが起きたわけでございます。この山崩れが起きたことによって、これは大変だということで、唯一昭和天王が自ら発案されたのが、全国に木を植えようという話なんですね。私が全国を回るから、日本に緑を取り戻そうと言って、天皇陛下自らが提案されて行われてきたのが、この植樹祭。全国植樹祭。去年ありましたね。福井でもありました。他のことで、天皇陛下が全国回られる、国体でも行かれますけれども、それは役人が考えて作ったものでございます。天皇陛下自らが提案されたのが、これなんですね。日本の山をなんとか守らなければならないということで始めました。

ところが木を植えるということは、こういうところでは非常に大切なことなんですが、もともとあった木を切ってまで杉やヒノキにしなければならないという、そういう時代でもありました。これを切ってですね、切ってしまって小さな杉の木を植える。これを育ててですね、戦後のあの木材不足の状態の時をですね、こういう状態になった時に、この杉の木で日本の復興をされたわけですから、そういうことがもし起こったとしても、いま杉の木を植えておけば大混乱は起きないだろうということで、一生懸命木をを植えた。それが今の杉林、ヒノキ林でございます。いま杉林を悪の根源のように言う人がありますが、決してそうではないんです。必要があって植えたものでございます。たまたま日本は、いま経済力がありますから、外国から木を買うこともできます。あの木を止めてですね、日本の材をたくさん使うようにしろ、そうすれば林業は活性化する。大嘘でございますね、あういう議論は。外国からいま木を入れなかったら、日本の家ってほとんど建たないんですよ、実は。最近は集成材といって、小さな木を集めて大きな材料に加工する技術ができましたから、かろうじて家が建ちますけれど、いまから10数年前はそういう技術がありませんでしたからね、外材を入れなかったら、日本の木を使えなかったんです。実は。そういうことで、いま人工林が悪者になっていますけれども、決して悪者ではない。必要があって植えたんです。いまの我々の一時的な価値観だけで、それを悪者にはしていただきたくない。そんな軽薄な考え方だけは、するべきではないというように私は思っております。はい。

私は昨日雨が降っておったんですが、竹田の山へですね。丸岡町の竹田の山を歩いておりまして。随分と雪があったんです。実は今から4日前にも竹田の山に行った時に、山を歩いている時に60cmの雪があったんですね。60cmの雪。それが昨日行きましたら、無いんですよ。60cmの雪の上を歩いてたのに、60cmの雪がない。もう異常ですね、これ。わずか3日間で60cmの雪が溶けてなくなってしまってるんですよ。これだけのたくさんの雪がなくなっても山崩れが起きない。私が歩いたのは杉の山です。杉の山ですけれど、全くそんな山崩れなんて起きてませんでした。ですから杉が決して悪いわけではない。杉を正しく管理すれば、それだけたくさんの水の影響を受けても、簡単に山崩れを起こすようなものではないんだということでございます。正しく新人を管理してやることによってですね、言われているような水不足とかなんとかっていうのは、問題は解決するはずなんです。そんな健康な山をですね、どうやって作ったらいいのかということを研究しているのが、私の研究所なんでございまして。これでひとつ皆さん方にね。じゃあ、どんな木が健康な木なのか、どんなの山が健康な山なのかというのを、簡単にですね、判断できるものがありますので、覚えて帰っていただきたいのですが。

一本の木がありますとですね。一本の木がありますと、健康な木、健全な木っていうのは、木全体の高さの50%以上枝を付けていれば健全でございます。はい。これがもっとたくさん付いていると、より健全。これが少ないというと、これは不健全な状態ですね。もう、枝がこんだけしかないというようなのは、これは決して健全じゃない。こういう半分枝を付けている枝があれば、これは松でも杉でもヒノキでも一緒です。健全な木なんだな、というように思っていただければいいと。で、庭木に植えた木がですね、台風で倒れる心配があるというようなのがあろうかと思うんです。そんな時はですね、まず通常の風速50mぐらい以下だったら。50mぐらい以下、滅多に吹きませんよ。そのぐらいの風速でも、60%の枝を付けている木は、地面に問題、あるいは幹に問題がない限りは、倒れる可能性は少ないです。だからこういう木を作っておけばですね、屋敷の近くにあっても心配はないということでございますね。はい。こんなことを私どもの研究所では、研究しております。日本の土地にですね、人間が住み続ける限りはですね、やっぱり山なしではですね、生きていけないわけです。我々が子どもの頃はですね、何か漫画を見ますと、無機物のですね、山とかそんなもんは何もないようなそういうイラストがありまして、そういう世の中になるのかなと思っておりましたけれども、決してそうではなかったですね。段々段々、自然が大切だと言うことがわかってまいりました。日本に山なんていらないよ、日本の米なんか作らなくていいよ。外国から買えばいいじゃないかと。そんな議論はもうする人は、今ほとんどいなくなりましたね。やっぱり必要なんです。人間はその土地でできたものを食べる。そして、その土地でできたものを使って生活するということは、もう基本中の基本だということでございますね。木材もこの木を十分に使っていただきたい。こうやって健全にできた木をですね、皆さん方の住宅にぜひ使っていただきたい。使っていただくことがですね、いわゆる山を守ることにもなるわけでございます。

いま、昔の人が、いや昔じゃない、今の人がですね。昔の山は良かった、里山はきれいだったって。きれいだきれいだっておっしゃいますけれども、先ほど言いましたように略奪したんですから、何もない状態です。その状態をきれいだと言う。決してきれいなことが健全な状態ではないわけです。

今の里山っていうのは、いろんなものが生えてきています。特に略奪した後に生えてくるものですから、まずイバラ系統のものがたくさんありますね。海岸、松の木が枯れた後、いま松枯れが問題になっていますね。三国は。この海岸ぐちの松が枯れた後にぜひ入っていただきたい。もうトゲトゲの木がいっぱいでございます。山歩きできないくらい。それはですね、そのトゲというのは、下から生えてくる木、それを守るがために必然的に必要なんですね。動物に食われないように、そういうイバラのものがですね、その木を守ってくれるわけですね。そんな形で山というものは、物がなくなったとしても、次の健全なこういう木を作るために、自分で、自分でその環境を作っていきます。それが遷移と言われる。いわゆる山が発達してくるということなんですね。山自身が発達してくる。植生が発達してくるということ。遷移といいますけれども、植生が徐々に発達していく。そして、ある一定の段階になった時に、これ以上は発展しないよという状態になります。その発展しないよ、という状態の山。これが三国にはちゃんと残っています。はい。それがどこかというと、雄島でございます。雄島に行きますと、椎の木とかね、タブとかいうのがありますけれども、この地域は木を切らずに何もせずにそのまま置いておくと、100年後200年後、あるいは300年後にはですね、今の雄島のような状態になっていきます。必ずなります。いま海岸の松の木が枯れておりますけれども、あの松の木の下に出てくるのにタブの木が必ず出てきます。それからより海岸に近いところに行くと榎なんかがありまして、榎が風を防いで、タブの木を育ててくれる。こういうしっかりとした営みがですね、あるわけでございます。

今、そういう発達段階にあるところですけれども、今この三国の山をどう整備したらいいのか、どうやって整備すればいいのかということで皆さんお悩みのようでございますけれども、私が提案したいのは、昔の里山に昔の三国のイメージの山にすることは、これはほとんど不可能だと思うんですね。それは人間の生活として、木を切り、木を使うということで、昔の環境ができたわけですから、それをしない限り、人間があそこを気に入らないから木を切る。切ってしまうよと。木を切ってそこに置いておくよというのでは。ただ木を切ったということだけで終わってしまいます。自然に山が発達していく、もう発達してもいい場所。こういう場所はですね、その自然に任せればいい。ただ、昔の里山であった木がないような状態で育っていた草花が欲しいんだったら、あの環境を作りたいんだということであれば、一部の山をですね、例えば公園の一部の山をですね、そのように整備して、昔の環境を作る。人為的に作るというようなことは必要かと思いますけれども。海岸の山全部をですね、そのようにするというのはほとんど不可能だと。また、必要もないというように思いますね。

松が枯れましたけれども、実は三国の方もお気づきだと思う。枯れた松山の中にですね、いま桜がたくさん生えてきていますね。山桜がいっぱい生えています。あの山桜なんかも、非常に大切な木でございます。松が無くなれば、あの山桜を残してですね、切らないで残してやれば、新しい三国の景観というのは当然出てくるわけですね。それと私が3年前までいた時にはですね、意外なもの、意外な植物がですね、あの海岸の波しぶきが当たるところにですね、生えておりました。自然に増殖しているんです。芝政の下ですね、芝政の下。あの芝政の下に行きますとね、西洋あじさい。西洋あじさいが松の木の下にいっぱい生えているんですね。そして梅雨になると、きれいな花を咲かせています。あの西洋あじさいが、どうしてこんなしぶきを受けるようなところですね、波しぶきを受けるようなところで育っているのかよく分かりませんけれども、たくさん生えてくる。ですから私も役所にいる時にですね、松の木が枯れて切った。その後に松を植えると同時に、海岸の一番近くにあじさいを植えてみました。今はどうなっているか確認していないんで分かりませんけれども、きっと育ってくれると思いますね。自然界がそういう示してくれる植生、木の種類とかそういうものをしっかりと見定めて、そしてその上で整備をされることなんですね。いわゆるその土地にあって、最も美しい景観を作っていくんだというふうに思いますね。

次にですね。こういう、天皇陛下がですね、自ら全国を回って木をいっぱい植えようと言って運動されて、大きくなった木。これはですね。ぜひたくさん使って欲しいわけです。皆さんの家に使って欲しいわけですが。この家で使っている木もですね、実は日本の文化と非常に強い関係がございます。昔の家ですと、町家には少ないのかもしれませんね。田舎の家へ行きますと、大黒柱というのがあったと思うんですね、大黒柱。大黒柱というのはですね、これは単に家の中心に据えているというだけじゃないんです。あれは家族、日本の家族制度、家族文化の象徴なんですね。ケヤキって。あの大黒柱というのは。昔は、いわゆる家長制度です。いわゆる一家の親父が家をしっかりと守っていくという制度でしたから、その象徴が大黒柱なんですね。大黒柱はですね、家の真ん中にある場合もありますけれども、ほとんどは家の中心ではありません。必ずいわゆる土間に接した、今で言えば台所。昔の流しですね。流しに、必ず流しから見えるところに大黒柱が建ててあります。能登の方に行きますと、ばかでかい昔の民家がありますが、その中心じゃなしに、まったく外された端の方に大黒柱が上まで繋がらずに、途中の梁で止まっているような大黒柱、ばかでかいものを入れています。まさにそれは象徴なんですね。なぜかというと、それは女性の方々が炊事の準備をする。いわゆる料理をする。それをですね、しっかり仕事をするのをですね、後ろでしっかりとその家の主人がですね、安心して仕事をしろよと。俺はちゃんと守ってやるぞという象徴として、それがあったわけですね。その大黒柱もですね、実はケヤキを使っております。ケヤキという木というのは、ご存知の方はそれでいいんですが、恐らく樹種を言っても分からないと思いますが、ケヤキという木はなかなか腐らない、強い木でございますね。お宮さんなんかに使ってる。お宮さんのところの柱なんかに使っている木ですが。このケヤキというのは、小さいうちはですね、真っすぐ育ってくれません。真っすぐ育ってくれません。必ず寝た状態で、どんどんどんどん大きくなっていく。だから、これはですね、男の子に象徴されているんですね。男の子。男の子っていうのはですね、まず生まれた時から女の子と比べれば体が弱いですね。すぐ病気にもなる。だけどある一定の年齢に達しますと、ケヤキというのは曲がったままでずっと大きくなったものが、20年か30年すると真っすぐ立ってくるんですね。そして、太くなっていく。それを大黒柱に使っているんですね。大黒柱というのは、ケヤキというのは日本で数少ない、専門用語で言うと分かりづらいんですが、柱にですね、背割りと言って、のこぎりを入れて割れないようにする技術があるんですが、ケヤキはだけはそれを入れなくても割れないんですね。悪い木は入れても入れなくても割れるんですが、真っすぐに育った木は背割りを入れなくても割れない。いわゆる傷をつけなくても、一家の中心でしっかりと守っている。しっかりとしたいい木だということでね。そういう男の子がこの家に育ってくれるようにという想いも、この大黒柱にはあったわけですね。

それからですね、まだ時間が迫っていますのであれですが。日本の建築のことをちょっとお話したいのですが。今でもいわゆる鉄筋で家を建てられる人なんかもですね。最近はちょっと少なくなり過ぎているんですが。座敷というもの、いわゆる床の間のある部屋をですね、ひとつは作られるんですね。この座敷の空間というのは、実は完成し尽くされた空間なんですね。最もバランスがいい空間なんです。大きさはだいたい8畳。はい、真四角の。その空間というのはですね、この空間も実は珍しくいい空間なんですね。私に言わせれば。ひとつの部屋というのは、だいたい6面ですね。だいたいというか、普通は6面なんです。天井と床、それから4面があるということで、6面を見せるわけですけども。最も安定した空間を、バランス的にいい状態っていうのは、同じ材質で2面以上作ってはいけないという大原則があるんです。座敷をイメージしていただきたいんですが、座敷は床が畳でございますね。天井は杉の板ですね。そして一方は襖、一方は、外の方は障子、そして一方は壁になっている。そしてもう一面は、これはいわゆる床(とこ)になっています。床になっている。木を組んだ三次元の空間を、その一面だけは作っている。そのことによって、同じ材質を3分の1以上は使わないでですね。最もそこに、真ん中に座ってですね、あるいはそこで寝転がってみた状態がですね、バランスがいいんですね。ここもね、戸は木目調のもの、床も木目調ね。他はちょっと窓があったりして他のもので抜いている。これ、私にすれば非常にいい設計ですね。普通のところに行くと、全部真っ白のクロス張りの空間でですね、床もですね、これは木を使っているから嬉しいんですが、コンクリートですね。何もかも全部コンクリート。その上にべたべたっと貼っただけ。あんなものは人間が住む空間ではないですね。しっかりと、やっぱりバランスのとれたですね、良い空間を作りたい。これはいわゆる歳がとってくれば経つほどですね、いわゆる人生最後の空間として、座敷にいたいと、そういう想いがですね、やっぱり皆さま方、日本人のどこかにあるんだというように思いますね。だから座敷を作られるというんだと思います。これからのお願いでございます。もし、皆さま方が家を建てられるのであれば、家を建てるのであればですね、これは是非とも骨組みが見える家を建てて。居間でもいいです。台所でもいいです。どこかの空間に必ず柱、それから横に、こういうのを梁って言いますが、梁。柱とか梁とかいうものが見える空間を木造を建てられる方は是非作っていただきたい。

それはなにかと言いますとね。自然のなかで作ったものというのは同じ物はありませんし、その空間というのは人間がそこで生活するわけですから、特に大事なのは、もう皆さん方大人ですから大人はどうでもいいんです。これから世の中を作っていくのは、子どもなんですね。子どもたちがその柱を見て、あるいはその梁を見ることによって、その仕組み、構造というものを無意識のうちにイメージできるんですね。イメージできる。これだと分からないです。どこにどういうものが機能していてですね、この構造体を作っているのかというのがイメージできないんですが、木造の家っていうのは、柱とか梁と見せるだけで、もう、しっかりと「あ、これにはこういう力がかかって、こういうものを支えているんだな」っていうのが、分かります。そういうものを見ながら育った人間、子どもっていうのは必ずいい人間に育ちます。物事の本質を見ようとする。構造材が見えるというということは、そこにどういう機能をしているのかという、機能の本質的なものを無意識のうちに学び取りながら育ってくれますね。そういうことが表現できるのが、木造の家でございます。是非ともですね、家を建てられるのであれば、そういう家を建てる。もし昔の家でそういう梁桁が見えるところを天井を張って見えなくしているのであれば、取り除いて見えるようにしてやってください。

人間というのは、人間の家というのはですね、そこで子どもを作り生活もし、全てします。人生の3分の1は家の中にいるはずなんですね。家の中にいる。寝ている時間がだいたい8時間くらいある。6時間の人もいれば。それでもですね、朝の食事とか夜の食事を入れれば8時間くらい。人生の8時間は家にいるわけございます。そのなかで、しっかりとそういういい環境を作ればですね、自分も安らぎますしね、将来日本を育てていく、支えてくれる子どもは、きっといい子に育ってくれるはずでございます。子どもたちが、いま物が見えなくなっている。本質が見えなくなっている。僕は今の日本の住宅の構造に問題があるんだと思いますね。木造の家でもですね、柱も全部隠している。ベニヤ板貼ってですね、その上にクロス貼って、物事の全部本質を見えなくしてしまう。そういう空間で育った人間はですね、物事の本質を見抜く力なんて付くはずがございません。ましてや物事の本質を見ようとすることを親も教えませんし、学校も教えません。だから、変なことをですね、本質から外れたことで議論をしている。それはテレビも新聞もですね。今日新聞社の人がいて、すみません。あはは。そういう記事や放送、多いでしょう。そういうことはやっぱり、いろんな人間が暮らしている空間というもので、木造というのはきちんと教えてくれますからね。是非やっていただきたいというように思います。もし鉄筋の家をお持ちの方がいれば、ここにあるように腰板に、これは杉じゃないですが、木質系のものを貼る。あるいはドアをですね全部木にする、と。6面あるうちの2面だけ。2面ですね。2面だけ、是非木の物を使って、表現していただく。床に木を使う、天井に木を使う、もうそれだけでもオッケーですね。非常に空間ていうのが安らいでくる。是非ともそういうように、自分たちの生活の中に木を使っていただくことによって、この木は山にできているんだな。山はどうやってできているのか。ずっと繋がってですね、物事の本質というものを考える。そんな人間ができると思います。是非お願いしたいということでございます。時間もきましたので、この辺で終わらせていただきます。どうもありがとうございました。

 

竹内:鋸谷先生、ありがとうございます。何か質問があれば、今の時間でお受けしたいと思うんですけれども。何かありますでしょうか。

 

質問者1:私、年間かなりのあっちこっち山に行きます。石川県ですとか。ところが、ちょっとはからずも先生がお話しなさる前に書いたんですが。最近気になっていること。そうですね、いまどっか見てましたら小原集落やら池田の。もうとにかくどこに行きましても、植林が大変進み過ぎていると言いますかね。先ほど杉林でもヒノキでも、植えることはいいんだと。管理をしなきゃいかん、とそんな話だったんですが。私はそれプラス400m、500m以上は、自然に任せると言いますか。きっと先生らも、渡辺先生という●学校の生物の先生ですね。あの方が、先ほど触れましたけれど、雄島の森ですね、あそこは自然のままの、福井県でも一番自然の宝庫だと仰るんですね。それは松枯れがしましてからだんだんだんだん今あの辺の地区のいろんな団体も植林をしていますね。私は基本的には5〜600m上は自然に任せる。ましてやヒノキとか、あの辺は杉が多いですけど、そういう植林をしないと言いますか。石川県も含めて海岸線を歩きますと決まって植林をしていますが、先ほど先生おっしゃったなかで自然に任せて、それが植層を守るといいますかね、そういうことに繋がるんじゃないか、と思っています。是非とも、先生も機会がありましたら、小原とか、北谷もそうですが、とりたて=イッポンオウチョウ=を登るのも、800mまでは植林が進んでいますかね。私は、私も定年前に、今育っているのはちょうど22〜3年ぐらの下の谷は杉、そして上の方はヒノキを植えたんですが。あれはしもたなと思っているんです。そんなんで、機会がありましたら、そういう考え方があるんだと。とにかく。竹田の話もなさいましたが、渡辺先生は竹田は一般的には緑豊かな、自然豊かなと言いますけれども、普通の自然の自然ではない。そんな話でした。以上でございます。

 

鋸谷:おっしゃるとおりでございまして、私どもが今、私どもの研究課題といいますか、やっておりますのは、自然に任せた山にしていくということ、大賛成です。はい。その自然に任せるために、何が必要かということなんですね。自然に本当に今の人工林をそのまま置いておきますと、多くの山というのは同じ高さで同じ太さの木でございます。同じ高さで同じ太さの木がびっしりと山に生えておりますから、これは毎年どんどんどんどん上に成長していきます。そうすると太さと高さのバランスを崩していきます。毎年崩しているんですね。どんどんどんどん崩していく。限界に達した時に一斉に雪、あるいは風によって全滅してしまう、ということがございます。

本当に自然に任せるというと、そうなってしまいます。何もしないと。そうじゃなしに、その前段階として、この木が50%あるいは60%枝をつけるような環境を作ってから自然に任せていく。そのための、私はこの太さと高さのバランス。こういう例えばここが20cmの木であれば、木と木の間の感覚をどのぐらいとってやれば、このしっかりした枝をつけるようになるよ、というのを数字で出してですね、これで管理しましょうというようなことを言っております。こういう枝が50%以上、あるいは60%もついているような木が育っている山へ行きますと、もう嫌でもいろんな木が生えてくるんでございます。下に。日本の山っていうのは、木を植える必要がないんです。本質的にいえば。自然に生えてまいります。いま若狭の山なんかは、とにかく鹿が全部ものを食べてしまって、この下の草も木もなくなった状態なんですが、自然界っていうのは素晴らしいですね。鹿が絶対食わない草、絶対皮もはがない木があるんですね。その若狭の木は、草はマツカゼソウ、木はニホンアブラギリでございます。全くそういうものがなくなったなかでも、そういう植生が育つ。そういう育つ管理は、最低限私はしてやるべきだと思うんですね。それでしてやった上で、後はもう自然に任せるということをしないと、せっかく今まで50年も育ってきたものをですね、無に返すというのは、これは愚かなことだと思いますね。これが将来大きくなって、また人間が利用したい時には使えればいいわけですから。今は使えなくても、木っていうのは数百年生きてくれます。はい。数百年生きてくれますから、その間に人間が使える時に正しく使おう。ただ何もしないで今の状態で放置するということは、これは今の、今生きている我々としては、それは責任放棄だなと。やっぱり今やらなければいけないことはやっぱりやるべきだなと。当時、一生懸命木を植えた人達の労力、あるいは資金。そらから比べれば今のそういう管理をするなんてのは、その10分の1にもかかりません。それができなくて、わあわあ言っています。できないんじゃないんです、やり方次第なんです。1回で済むところを何回もやっているから、お金が足りない、労力が足りないという実に下らない議論をしている。1回でそれができる状態を、私どもはご提案申し上げています。はい。私も本を出していますけれども、その本の中にも書いてありますので、機会があれば見ていただけると。そのことも数字できちっと、できますよというのを数字でお示しするのを、今度は4月にまた本を出しますので、機会があれば見てやってください。もうおっしゃるとおりです。

竹内:ありがとうございます。他に何かまだありますか?ないようでしたら今から10分間休憩を取らしていただきます。いま2時38分ぐらいになりますので、3時48分まで10分間休憩とらしていただきます。あと会場のほうが飲食等ができますので、ジュース等を中にお持ちいただいても大丈夫なので、よろしくお願いします。それでは鋸谷先生に、もう一度大きな拍手をよろしくお願いします。

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