11月の森の勉強会~三国湊エッセル堤物語~開催しました。

カテゴリー:みどリレー通信, 勉強会

2009.11.26

2009年11月23日 森の勉強会 三国湊 エッセル堤物語

上出純宏氏(前三国資料館館長) 5回目の森の勉強会。今回は三国資料館の前館長さんの上出さんです。

2009_1124森の勉強会 上出さん そだ工法0014 僕は三国で育って三国の高校をでて大阪の大学に行きました。 三国に博物館ができるというので学芸員の資格を取り、帰ってきました。 研究者と学芸員の違いってなんだと思いますか?研究者はどこで作られたものか、どうやって作ったかを調査・研究して自分なりの評価をします。 学芸員は研究を集めて、全く知らない人が見たときにわかりやすく説明します。 それまで博物館はガラスケースに陳列されるのが一般的だったのが、この頃博物館とは?展示とは?を考えられるようになり始めました。 学芸員になって初めて三国のことを研究し、例えば三国箪笥や三国焼きなど三国にはオリジナルが多く、こんなに面白い地域だったんだと発見し、驚き、これをみんなに知ってほしい、というのが僕の仕事の始まりです。 三国の資料館はみくに龍翔館といい、三国駅から坂を上がった丘の上にあります。 白亜で八角形、5階は銅板瓦葺のドーム状になっている建物です。 このモデルが明治時代の三国の龍翔小学校で、エッセルという人がデザインしました。 友人と飲んでいるときに「ところでこのエッセルという人はどんな人や?」と聞かれ、エッセルについて知らないことに気づきました。 「普通は博物館のオープンのときに、この建物をデザインした人について歴史と紹介を発表してパンフレットにするんやろ」 そう言われ、大慌てでオランダ大使館に問い合わせたのが、僕とエッセルとの始まりでした。 このエッセルが、M.C.エッシャーの父親らしい、三国の防波堤の工事で来たらしい、ということがわかりました。 三国は北前船の寄港地として栄えていた湊です。 三国湊は九頭竜川と竹田川の河口に位置し、九頭竜川の上流から運ばれる土砂が河口に堆積して、船舶が入港できないことに悩まされていました。 江戸時代は九頭竜川河口に「水刎(みずはね)」を作り、九頭竜川の強い水流の流れを水刎にぶつけ、竹田川へ導き、その水流で土砂を海へ押し流す仕組みです。

2009_1126森の勉強会 上出さん そだ工法0002

これは20~30年毎に修理が必要で、費用がかかっていましたが、江戸時代は水刎のシステムで湊を維持してきました。 一方、竹田川の河口の村は水刎ができることで洪水が起こりやすく、水が何度もついて困っていたため、江戸の末期に水刎を取ってしまった。 するとどんどん土砂が河口に堆積して、船舶が入港できない状態になってしまいました。 そもそも三国湊は浅瀬で「危険な湊」として知られていたらしく、広重の版画では舵を上げて入港待ちする図が描かれています。 これは資料館に展示してあります。 これが水刎をとったことでどんどん浅くなった。 湊民は政府にこれを訴え、そこで三国に派遣されたのが、オランダ技師として来日していたエッセルでした。 エッセルは三国から九頭竜川の上流まで歩いて調査を行い、日本に合った工法として粗朶沈床工法を用いた弧形の突堤を採用しました。 オランダは国土の多くが干拓した土地で、水利工法技術が進んでいましたが、川は広く土地は平野で穏やかです。 日本は山がすぐ近くにあり、川は流れが急でオランダとは条件がかなり異なります。 三国の突堤は弧形にして河口の銚子口を極端に狭めることで、日本海へ排出する水流の勢いが増してその水流の強さを利用して土砂を排出するというものでした。 粗朶とは広葉樹のナラ・クリ・カシ・サクラの枝を束ねたもので、粗朶沈床工法はこれを格子状に組み、杭やツル様の柔軟性に富む枝を用いて大きなマット状にして沈め、上から石を投入し、海底に沈めます。 粗朶沈床工法により、突堤が沈んだり流されないようにします。 コンクリートの根固めブロックでは50年ほどで地中に沈んでしまうことがありますが、三国の突堤の粗朶沈床工法は120年経過した現在でも現役で機能しています。 木は水の中に入ると腐りません。 鳥浜貝塚の縄文の船も腐らず出土したように、木は水の中では数百年、数千年持ちます。

1876年にエッセルは三国に来て1978年6月にオランダに帰国しています。 工事は1878年5月に着工、1882年に500メートルの突堤が一応完成していますが、実際は6~7年かかった工事でした。 日本海の工事は作っては壊れ、壊れては作って・・・の繰り返しだったといいます。 工事はオランダ人デ・レイケが担当しています。 エッセルはいわゆる大学出のキャリア。デ・レイケは現場のたたき上げ。 2人は同じ船で日本に来ています。 階級が異なる2人でしたが、レイケは工事の進行状況を手紙でエッセルに細かに報告・相談しています。 このことからレイケがエッセルを慕い、エッセルもレイケを階級を超えて友人として、仕事の相棒として慕っていた人柄がうかがえます。 仲間と以前、粗朶沈床工法を試作したことがあります。 新潟に北陸粗朶業振興組合というところがあり、いまでも粗朶工法を受け継いでいます。 その会社に手伝ってもらいました。 すごく大変だった。3/4のモデルを1つ作るだけだったのに、山が一つ丸裸にしなければ材料が取れない。 こんなにたくさんの木がいるのか、ということが驚きでした。 当時は三国の森が丸裸になって他からも木を採ってきたんだろうと思います。 木の中ではヤマザクラが一番丈夫とのことでした。 7~8年の広葉樹が、1番しなり、強度が強いそうです。 丸裸になった山は、「ひこばえ(萌芽」といって切ったところからわき目が出て、10年ほどすると再び粗朶が取れる山に戻ります。 そうやって里山の森は循環していたんだろうなあ、と思います。 昔話でおじいさんは山に柴刈りに、の柴がひこばえであり、粗朶です。 粗朶工法とコンクリートの護岸工事を比較すると、粗朶工法の方が長持ちし、生態系の回復も早く、森と川海の循環につながるし、二酸化炭素を削減する工事ができます。 護岸工事としてはすごくいい。 ただ人手がすごく必要でお金がかかるため、効率は悪い。 最近では三国のヨットハーバーと伊崎公園で粗朶工法が採用されましたがこれは例外的です。 新潟では里山を借りて、8年サイクルで粗朶を作っている。 粗朶はいいぞ、というデータがどんどん出てくればいいが、まだ出てきていないのが残念です。 三国の突堤は120年経過しても充分に機能していること、オランダの粗朶沈床工法を用いた日本最初の工事であることが評価されて、平成15年(2001年)国の重要文化財に指定されました。 この間、昭和23年福井大震災で補修工事を行いましたが、これは三国湊を漁港として整備するように変えた工事でした。 昭和46年に対岸のテクノポートに砂が行かないように500メートル延長されましたが、これは粗朶沈床工法ではなく、コンクリート工法です。 エッセル提ができて九頭竜川の土砂が堆積してできたのが三国サンセットビーチの砂浜です。 突堤が延びた工事によりサンセットビーチに供給される砂がどんどん少なくなり、削れてきて、砂浜が少なくなってきています。

2009_1124森の勉強会 上出さん そだ工法0024

帰りがけ、ふと海を見ると遠くから北前船がやってきそうな波の音。 漁火が水平線に光っています。 120年前の三国はどんな風だったんだろう?! 三国湊の海の問題を、森から粗朶を切り出して解決し、それが120年経った今でも生きている。 森と海の循環が成り立っていた。 問題となっていた砂が別の場所に砂浜を作り、観光やレジャーの場を現代の私たちに提供してくれている。 話を聞きながら、自然を観察し、自然と向かい合って問題を解決する知恵というものに感激せずにはいられませんでした。 現代の私たちに欠けているもの、足りないもの、未来を考えた街づくり・・・。 自分が住んでいる街にこんなにステキな場所が隠れていたんだ、と新発見した夜でした。

はじまりました!
募集中!
枯れ松伐倒

ただいま
353

カレンダー

みどリレー
活動スケジュール

フィールドマップ

Field Map

ニノサクじいちゃんの森

ワッキの森

ナミィの森

PICK-UP!!

    当事業およびこのウェブサイトは地球環境基金の助成を受けています!

MENU

HOME

みどリレーについて

三国の森と
サックリの森づくり

松枯れについて

みどリレーからの

お知らせ

通信

森づくり どなたでも参加できます!

森の健康診断

森づくりプラン

森をつくる人になろう

三国湊で活躍しませんか!

ワークキャンプ

今月のみどリレー
(月1回週末の森づくり)

平日のみどリレー
(不定期で森づくり)

勉強会

イベント・シンポジウム

調査研究

お問い合せ

年度別
2010年度の活動[予定]
2009年度の活動
2008年度の活動
2007年度の活動