ナホトカ号重油流出事故から10年-三国湊型環境教育モデル構築・普及活動-

ナホトカ号重油流出事故から10年≫シンポジウム

シンポジウムレポート

1997年、ナホトカ号重油流出事故によって真っ黒に染まりもはや回復は絶望的と思われた海は、ボランティアの力によって奇跡的にかつての美しさを取り戻しました。10年の間に三国で行われてきた環境保全活動をもとに更なる展開が探られた今回のシンポジウムでは、環境活動のネットワーク構築という「第二の三国方式」が提唱されました。 第一部では当時ボランティアとして三国町に駆けつけ、今は三重県で災害ボランティアの養成に取り組む山本康史氏を迎え、NPO法人三国湊魅力づくりPJ 理事であり当時ボランティアのコーディネーターを務めた長谷川啓治氏との対談が行われ、「ボランティア活動のあり方・進め方」、「コーディネーターの必要性」についての対談をおこないました。 第二部は三国町で実施されている環境活動の報告をもとに、エコネイチャー・彩みくに会長阪本周一氏による「ゴミ漂着問題」と、それによって「失われた生態系の復元」の報告、樹木医の井上重紀氏による「松枯れ」と「丘陵地荒廃」についての原因解明及び具体的な対策の提言、NPO法人三国湊魅力づくりPJ副理事長・おけら牧場代表の山崎一之氏からは、各団体と行政の提携による「ネットワーク構築」「第二の三国方式」が提案されました。 最後に来場者を交えた意見交換では、環境保全の「窓口の設置」、「継続的な活動」、地域住民を巻き込む「楽しみというインセンティブの必要性」、さらには今後の「具体的な計画」をどのように進めていくかについて活発な議論となりました。「ボランティアの力によって蘇った空気のように当たり前の環境。これを子ども達に残していくためにも、手遅れになる前にネットワークをつくっていきたい。今回のシンポジウムによって第二の三国方式の入口まで来ることができた。間髪を入れず次の計画を進めたいので皆さんに協力をお願いしたい」という山崎氏のまとめをもってシンポジウムは終了いたしました。

シンポジウム詳細レポート

第1部「ナホトカ号重油流出事故から10年〜ボランティア活動から見えるもの」13:30〜14:10

第一部は長谷川啓治氏(NPO法人三国湊魅力づくりPJ理事)と山本康史氏(三重県防災ボランティア養成協議会議長)による対談が行われた。 同日午前中には、10年前にボランティアセンターのあった安島子ども広場で、全国から重油事故に駆けつけたボランティアの皆さんの同窓会が開かれた。長谷川理事と山本氏は当時の炊き出しが再現された同窓会からシンポジウム会場へ向かった。当時のボランティアの皆様にもシンポジウム会場に足を運んでいただいた。 対談は、ボランティアに来ようと思ったきっかけに始まり、これから三国で環境保全活動を取り組むにあたっての提案まで40分間話し合われた。

長谷川  ボランティアに来ようと思ったきっかけは何だったのでしょうか。

山本  1月9日に船首部分が三国に漂着した様子をテレビで知りました。漁民の方だと思いますが、海を眺めて呆然とする様子を見て大変なことが起こった、自分に何ができるだろうかと考えました。当時大学を卒業してフリーターをしていたのですが、阪神・淡路大震災のときに災害ボランティアをした経験もあり、何か出来るかもしれないと1月19日に一度三国町へ様子を見にきました。すると「今必要なのは肉体労働ではなくて、長くいられるスタッフ」と知り、「私いま仕事していませんから(笑)。アルバイトの上司に休暇をもらってきます」と三重に戻って荷物を整え、1月27日にこちらに入らせていただいたのがきっかけでした。 しかし自分が三国に来れたのも、すでに長谷川さん達が組織をつくってくれたからだったと思います。行きたいと思っても受け入れる組織がなければ何をしたらいいのかわからない。逆にどうやってセンターを立ち上げたのかをお聞きしたいのですが。

長谷川  自分でもあんなに早くセンターができるとは思ってもみませんでした。僕も最初は重油を救うことしか考えてなかったのですが、JC会員で海鮮問屋「波屋」の息子さんの「長谷川さん大変です。このままじゃ三国終わっちゃいます。JCとして何かできることはないですか」という一言で、「組織としてできること」を考え始め、JCとして受け入れ体制を整えることになりました。集まってくる方々のコーディネーターになるべきだと神戸元気村の山田さんから助言され、いろんな人のお陰でセンターができたのです。

山本  ボランティアは物資の仕分けができる人や会計ができる人など、それぞれ跳び抜けた能力を持つ異業種の人たちが集まってくる。普段は会えないだろう立場の人にも対等な関係で向き合うのがボランティア同士の関係だと思います。それがボランティアのよいところではないでしょうか。

長谷川  ボランティアをやるのは最終的に自分のためだと考えています。自分はそれで豊かになったから。

山本  三国で長期活動した人の多くは仕事をもってなかった人でした。夜な夜な「自分は何をしてるんだろう」と話し合いましたが、通りすがりの地域の人に「ありがとう」といわれて、ただそのために尽きるのではないかと思いました。自分が楽しいからやってることが一番で、それで喜んでもらえれば十分だと思います。

長谷川  山本君は自分達がセンターの立ち上げをした後に三国でボランティアを育てていってくれました。三重に帰って、また大きく育てている。当時のセンターも阪神・淡路大震災の後に芽生えたボランティア文化をどう育てていくかという認識でした。三重でのボランティアセンターの立ち上げはどのようになされたのでしょうか。

山本  阪神・淡路大震災の後に三重ではNAD-Mieという防災ボランティア団体が発足していました。そうとは知らず偶然この団体からの受け入れの電話を三国のボランティアセンターで取ったのですが、同じ三重県出身ということが起因となり、その後の三重県防災ボランティアセンター養成協議会の立ち上げにつながりました。その意味では、三国できっかけをもらったといえるのです。養成協議会としては、その名のとおり防災ボランティアの養成を県と一緒にやっているのですが、そのほかにもイベントボランティアによるイベントの支援もしています。どちらにおいても痛感するのはボランティアが活動できる現場をつくるコーディネーターが必要だということです。重油流出事故の後、長谷川さん達はどうやって活動を深めていったのでしょうか。 長谷川  耳の痛くなる話ですが(笑)。せっかくきれいになった海も翌年には流木や漂着物がいっぱいでした。JCでどうしようかと考え、ゴミを出さないという活動や、海にあがって来る物を活用しようと、流木をスライスしてコースターにしたり、海藻からの「荒磯染め」に取り組んだりしています。10年前にきれいにしてもらった三国の環境をどうやって守り続けていくかについてご提案をいただきたいのですが。

山本  三重でも同じ問題があります。ハローボランティアネットワークみえでは、イベントボランティアの受け入れをしてイベントでのゴミ回収に取り組んでいるのですが、すぐに成果はでないですね。

長谷川  これから取り組もうという環境保全はとても範囲が広く、三国の松枯れから海をきれいにすることまで課題があります。しかし重油流出事故では大切なものを失ったことに皆気づいたと思うんです。それが環境でした。神戸から駆けつけていただいた林さんという方がいたのですが、ご高齢にも拘わらず復興の真っ最中に来ていただいて本当に申し訳ないと申し上げると、「長谷川さん勘違いしないでください。時間とお金をつぎ込めば復興は何とかなるもの。でも環境はそうしたものでは決して取り戻せない」と仰られた。自分もイチョウの木や桜の木を植林していますが、これから皆で環境活動を行うための体制づくりを進めていくうえで、どうしたらよいと思われますか。

山本  ボランティアは第一歩を踏み出すことが難しいと思うのです。一歩を踏み出したら二歩目は簡単に出ます。どこでその第一歩を見つけるか。イベントボランティアが踏み出しやすいのは楽しいからです。ボランティア活動の中に参加しやすい仕掛けを入れることが必要だと思います。ゴミナビゲートという取り組みでは、20万人集客する花火大会で、来てくれたお客さんにゴミ分別の案内をさせています。それは燃えるゴミだからこちらに、これはペットボトルだから洗ってくださいという風にして。ゴミの分別をわずらわしく感じさせない仕組みをつくったところ、ゴミ分別が定着してきて、いまではお客さんのほうが熱心なんです。

長谷川  させてあげる、喜んでもらう気持ちよく帰ってもらう仕組みづくりが大切だというのは同感します。

山本  どうやって雰囲気をコーディネートするのかが大事なのでは。同じことを伝えるにも共感をもたれる伝え方がある。大事なことは大事だけど巻き込む雰囲気づくりがなくては始まらない。内容の良し悪しでなく、どう雰囲気をコーディネートするか。三国ではよい雰囲気があったのです。自分はここで学んだことをそのままやってるだけです。三国で学んだことこのことを環境の方面でもまたやったらいいのでは。 長谷川  コーディネーターは重要ですね。コーディネーターとは羊飼いのようなものだと考えています。目的を明確に設定して、共通の目的をもって頑張るかたちがボランティア活動をうまく進めました。

山本  三重ではゴミ袋の有料化が実施されましたが、期待に反してスムーズに事が運みました。環境に対する一般的な意識は高まっているので、羊飼いのように方向を示せば、みんな動くのではと思います。

長谷川  最後に三国を外からみて、こんなこともあるのでは?というものをお願いします。

山本  今取り組めることに全力で取り組んだらうまくいくのではないでしょうか。振り返って三国方式とは何だったのだろうかと考えると、それは、社協・ JC・民間がそれぞれ自主的に動きながら、先の目標を共有していたことにあると思います。他のボランティアセンターを見て廻って感じるのですが、三国の良さは各団体の距離のとり方・自主性をもとにした活動の自由闊達さにあったと思うのです。

長谷川  時間にもなりましたので山本さんの言葉をまとめとして第一部を終えたいと思います。ありがとうございました。

第2部「つながる山里河海と三国湊の環境教育モデル」14:25〜16:30

事例報告 14:25〜14:40

パネルディスカッションの前に15分程度の事例報告としてエコネイチャー・彩みくに、みくにまち豊かな海の森づくりの実行委員会による森づくり活動、安島区民の清掃活動、松枯れ対策、そして千葉県協同組合提携推進委員会の活動、カーボンオフセット事業が紹介された。

  1. 2002年に町の環境基本計画を推進する団体としてエコネイチャー・彩みくにが設立。漂着ゴミ問題、水草復元など毎年掲げられたテーマにしたがい取り組みがなされている。
  2. 三国町豊かな海の森づくり実行委員会は、2000年に里山の産廃を食い止めようと民宿のおかみさんが始めた森づくり活動。植林、下草刈り、勉強会などが漁協を始めとしたボランティアによってなされている。委員会では子ども達の参加を促したいと考えている。
  3. 地域住民による清掃運動が常時なされている。とりわけ安島地区では自治会長をはじめ、安島を考える会が中心となり、青年団、壮年会、婦人会が一体的な取り組みをしている。
  4. 坂井市による松枯れ対策が行われている。現場の環境調査をもとにして、三国の風土に適した森林計画を作成し、プロの造園業者、ボランティア、行政が提携して「みんなで育て、みんなで守る」景観づくりが進められている。
  5. 千葉県では自然を相手とする第一次生産者である協同組合の提携が二年前より研究会を設けて進められてきた。各協同組合員が先生となり、一般参加者が生徒となって食育を軸とした学校が今年からスタートした。
  6. イギリスで始まり、日本でも広がりつつある温暖化対策にカーボンオフセット事業がある。これは通常の生活や企業の営利活動から排出せざるを得ない二酸化炭素(カーボン)を、植林活動で吸収することにより埋め合わせ(オフセット)し、森づくり活動にかかる費用を排出者が募金するというもの。経済活動と森づくりの持続的発展を可能にし、二酸化炭素の排出量について意識の高まりを生むという点から注目されている。

パネルディスカッション「つながる山里河海と三国湊の環境教育モデル」14:40〜16:30

山崎  「三国湊の自然との共生」ということでパネルディスカッションを始めさせていただきます。後半では会場の皆さんとも意見交換をしたいと思っていますので宜しくお願いします。では私が紹介するよりご自身で紹介された方がよいと思いますので、阪本さんから自己紹介をどうぞ。

阪本  エコネイチャー・彩みくにでは、環境フォーラムを毎年行っております。その中で今日は「三国の海からSOS」を主なテーマとして発表させていただきます。これは九頭竜川流域と生態系とゴミ問題を扱ったもので、国重要文化財指定の突堤のある三国湊にも、川岸に留まっていたゴミが水量の増加する時期に多く漂着します。美しい景観が台無しになっています。原因は7割から8割が九頭竜川に捨てられたゴミです。上流だけでなく下流も含めてゴミが投げ捨てられているのです。そこで上流の池田町、美山町、福井市に4年間で訴え続けてきました。河口は遡上する魚にとって命ともいえ、生態系に役立つ水草・マコモの生育にも漂着ゴミは影響します。カムチャッカから三国にやってくる渡り鳥や、少数ながら磯だけに住んでいるクロサギ、これはホンダワラに潜む魚をとって食べるのですが、こうした鳥の住処を奪っているのです。根気強く訴え続けてきた甲斐もあり、今では捨てられたレジャーボートの回収が始まりましたし、上流の住民の意識も変わりました。エコクラブみくにっこという環境教育の普及活動や、鴨池と呼ばれる大堤の水環境復元の取り組みによって、きれいな環境を子ども達に残したいと思っています。

井上  県の総合グリーンセンターに勤めていました。常緑樹林を見るとほっとしますね。これまで石川県境の森でナラの保存をしたり、中国の寧夏回族自治区で、ここは世界で最も造林がなされている地帯で大量のポプラ枯れが起きているのですが、その対策を行う研究所の設置に関ったりしました。ポプラ枯れは日本のゴマダラカミキリの親戚にあたるカミキリによる被害です。このカミキリは異なる二つの種の中間となるハイブリッド種をつくっています。福井の松枯れについてもグリーンセンター時代からかかわっていますが、なかなか人間は虫に敵わないと思います。 松枯れは体長1mmほどのマツノザイセンチュウが原因といわれています。このセンチュウは北米からの外来種なのですが、マツノマダラカミキリの体内に生息し、松へと運ばれて樹木内に侵入し松を枯らすのです。一般には成虫になってから餌を食べるための行動だといわれていますが、水分を必要とするからではないかとひそかに思っています。福井の松枯れ被害の分布状況を見ると、松枯れ被害と平均気温に関係があることがわかります。マツノマダラカミキリの生育に最適な温度は13.5℃といわれています。この気温の地域に松枯れ被害は広がっており、三国は年平均気温が15℃ですから、危険地帯といえるわけです。これには温暖化も起因しているかもしれません。 松の根には菌根菌があり、これが地表に現われるとキノコができるのですが、菌根菌がやられると松の生育力が弱くなります。菌根菌のために土壌は貧栄養にしておく必要があります。しかし落ち葉は逆に富栄養化してしまいます。カリフォルニアでは土壌を炭化して貧栄養に保つ試みがなされています。松枯れの原因のひとつとして、落ち葉を放置しておくなど手入れがなされないことによって富栄養化が進んでいることが考えられます。

山崎  お二人とも凄い活動をしていて私達は何をしたらいいのかわからないくらいですけれども(笑)。たとえばゴミ問題もこの映像を見せられたらあまりにも凄まじいし、一体どうしたらいいんでしょうね?

阪本  昔からゴミ捨て文化というのもありましたが、それは分解されうるゴミでした。習慣となってしまったものを根気よく上流に向けて発信していくのが三国の役割ではないかと思います。費用の負担を行政にやってもらうという方法もあると思いますが、行政は責任転嫁してしまうのです。

山崎  責任の所在はいつでも問題となるんですが、三国は観光といっても、松枯れを解決しない限り観光もないと思うのです。しかし誰かが手をつけて解決していけば、胸を張って自分たちがきれいにしてきた観光地だといえるはずです。全員で取り組まなければいけない段階に来ています。今回のシンポジウムも、そうやって何とかする第一歩にしたいのです。ゴミの問題と山が荒廃していく問題を交通整理して進めて行きたいと思いますが、井上さん、陣ヶ岡も生きてる松が死んでしまってる状態なのです。どのような対策が必要でしょうか。

井上  三国の松は50年ほど前に植えられましたが、それは松そのものが早く育つし、燃料としての利用がよかったから植林されたのだと思います。その松ですが、どういうところで育ちやすいか考えてみる必要があります。良い例が敦賀の気比松原です。一番前線に一番古い木があります。そこは砂の上に多少の落ち葉が舞っている状態です。要するに、一番栄養価の少ないところに松は育つのです。海だったら前線の砂浜、山だったら畝筋という風に。陣ヶ岡の場合ですと、かなり下草が繁茂している。この状態のままでは栄養に富んでいるので維持することはできません。クロマツの間に同じく防砂林として用いられるネムノキを植えた事例があるのですが、ネムノキはある一定の段階に達するとそれ以上大きくならないので、もう少し考えてやっていかないといけないと思います。

山崎  ゴミは一回拾えばいいという問題でもないですよね。掃除し続けるしかないんでしょうか。

阪本  清掃活動をやっているところは、実践しているという段階で終わってしまいます。しかしゴミを捨てさせない、ゴミを出さないことが必要で、これは民間と行政で連絡を取り合って、広いネットワークで取り組む必要があります。

山崎  磯野さんが森づくりを始めたのもゴミの問題でした。里山の荒廃も手入れ不足だけでなく産廃が投棄されているのですが、個人の所有地なので踏み込むことができない状態です。

井上  松林はとくにそうですが、下に生えてる草も、ある面からいえばゴミともいえるわけです。しかしきれいにしたところはゴミ捨てに来れないのではないでしょうか。里山を豊かにするにはボランティアでもいいのですが、もう少し人を集めないといけない。その点、行政は集められるんじゃないかと思います。はじめはボランティアによって山の掃除をするのもやっていく必要があります。何かのきっかけをつくらないと行政も動かないと思いますし。

山崎  このシンポジウムの意味も、いろんな団体がやっている活動を一本化してやってくことにあると考えています。環境保全をやりたい人のための窓口を三国のどこかでつくっていく必要がある。阪本さん、これについてどうでしょうか。

阪本  ぜひやっていただきたいと思います。環境はどこかがやってくれると思うことで解決が遠のいてしまいます。皆でやっていくことで10年かかることも5年でできるものです。こうして一年に一回は環境について語り合うという場を持つのもよいのではないでしょうか。

山崎  阪本さんにもご承諾いただきました。自分は山の中に住んでいるからわかるのですが、どうして環境が悪くなったんだろうということに、気づかなければ気づかないでおくことができるのが近代からの生活形態だと思うのです。それは、朝起きてから会社にいって帰宅するまで、お金を儲けることに関しては非常に効率がいい。しかしその反面でお金にならない部分が切り落とされてしまった。たとえば、日常的にかまどに火をつけるためにマツボックリや枝を拾うとか、効率がよいとはいえない仕事が自分たちのいのちを育み、きれいな川をつくっていた。農業でいうなら、土手を刈るとか、田圃の手入れとか、そういう仕事は換算すれば80兆円もの価値がある。莫大な価値をもつ仕事が無償でなされていた。農家も兼業でなされるようになり、だんだんこの仕事を担う人が少なくなってきたが、誰かがやらなくてはならない。今ボランティアをきっかけにこうした無償の仕事をして子ども達に環境を残していこうよという流れになってきています。三国はボランティアによって海をきれいにした歴史がある。三国だからできることをやりたいなと常々思ってきましたが、どうでしょう皆さん、今三国からやっていくことを始めませんか。枯れた山は個人の山だから国は何もやりませんよ。自分たちの問題として考える必要があるのではないでしょうか。 三国には400ha以上の森林がありますが、それは井上さんもいわれたように、本気になればきれいにできない面積じゃないんです。行政も入って経済的にもあげていくことができれば、第二の三国方式が今この場からスタートできると思います。そうした活動を今年からやっていけないでしょうか。

阪本  エコネイチャーでもネットワークづくりを始めています。来年はそういう形でやっていきたいと思っています。 山崎  井上さん、森づくりを始めるに当たってどういったことを考えていったらいいでしょうか。

井上  究極的には森林を育てるという意味では、放置と言うか、ある程度の管理でいいと思います。ところが松林を育てるというと話は別で、大変な努力が必要になると思います。先ほどもいいましたが、松の根っこには菌根菌がつきます。秋にはシモコシなどのキノコがとれるので、キノコを食べようということで林の掃除をしようというのもいいと思います。

山崎  森林の荒廃について温暖化の影響はあるんでしょうか。てっきり中国からの酸性雨の影響と思っていたのですけど。

井上  温暖化も影響の一つとしてあると思います。今では雪かきをする雪も少なくなってきましたし。気候が変わりつつあることは間違いない。しかし何でも温暖化に結び付けることができるかわかりません。酸性雨については、中国で帯状の黒い雲が広がっているのをみたことがあり、やはり影響があるのではないかと。原因のひとつだと思います。日本の森林土壌は弱酸性です。それにNOXが入ってアルカリ性になると根っこを傷めます。どれぐらい影響があるかはわからないですが、あることはあります。先ほどのカーボンオフセットの話にしても、木はある程度の年代に来るとカーボンの固定量が少なくなります。ですから木を利用して欲しいのです。更新しながらカーボンオフセットもやっていく必要があります。いつまでも放置しておくのはやめなければなりません。

山崎  残り時間もあと30分となりました。ここで会場のほうからご意見やご質問をお聞きしたいと思います。 質問  阪本さんに質問です。ゴミに対する分別収集も行われていますし、これからゴミに対する意識もかわってくるのではないでしょうか。不法投棄しやすい場所というのがあると思いますが、河川敷に花を植えたり、きれいにしたりすることで効果があるのではないでしょうか。

阪本  これからゴミに対する制度もつくられると思いますが、ゴミの投棄は犯罪なんです。犯罪意識があるかどうかが問題ではないかと思います。上流では意識がかわってきていますが、中流、下流のとりわけ農家の方々がよく捨てるのです。不法投棄しやすい場所については、たとえば伐採した枝を流してしまうので家庭ごみを捨てやすくなったりということはあると思います。

質問  今日は初めて知ることも多く、意義のあるシンポジウムだったと思うのですが、こうした活動が地元住民にもっと広がっていくためにも、第二回、第三回と続けていって欲しいし、窓口が必要だと思います。私も協力したくても誰にいえばいいのかわからないので。

山崎  ありがとうございます。これからつくっていきます。

質問  以前、繁茂し続ける竹林が山主の高齢にともない手入れのできない状態になっているため、都会からボランティアが手入れし、たけのこを食べたり、竹細工をつくったりしていると聞きました。そこで、たとえば栗や柿の木などを地主の許可を得て植えたり、シイタケを食べたりするなど、楽しみながら手入れができないだろうかと思います。木を植えるだけでなく楽しめる形もあっていいのではないでしょうか。

山崎  それについては実践してる方が会場に来ていらっしゃいますのでご本人からコメントいただきたいと思います。

来場者  丸岡で林業関係の仕事をやっています。陣ヶ岡で生まれ育ちました。山を手入れしながら、シイタケの原木を植えて、会員を募って子ども達に山を楽しんでもらう活動をしています。陣ヶ岡はかつて栗を育てていたと聞いていたので栗の木の植林もしました。皆さんに声をかけて続けていきたいと思っています。 山崎  豊かな海の森づくりでも栗の木を200本でしたか、植えているんですよね。 来場者  正確な本数は今わかりませんが、休暇村のところでかなりの本数の栗を植えました。はじめはどんぐりの木を植えていたのですが、収穫のときにも実のなる木を3年前から植え始めました。

山崎  そうやって一人一人の参加をえていけば少しずつ進んでいくのではないかと思います。

山本  コーディネーターについてコメントをということですが、僕個人としては一本化と一体化は違うと思うのです。どんなところでも問題に直面したときに一本化に向かうと思うのですが、その必要性があるのかどうか。それぞれいい活動をしていらっしゃるのですし、単体の団体にはレスポンスのよさがあります。一本化することによって余計なわずらわしさが生まれてきます。むしろ個々別々のほうが自由闊達にできるのではないかと思うのです。環境に踏み出したいといったときに窓口が必要だとは思いますが。

山崎  重要な問題提起がなされました。しかし三国町全体でやっていかないとだめなところまできてると思うんです。ここで少し大きくしないと今後どうなるか。というのも、莫大な費用がかかるんです。松の倒木にしても一本一万円ぐらいかかる。個々人でやっていくには限界があります。ある程度活動の成果が面としてみえてこないと、「きれいになってきた、どうしたんだろう」と気づくぐらいの面をつくっていかないと元の木阿弥になってしまいます。そのための方法が必要なんです。活動は個々別々にそのまま続ければいいと思います。しかし一体化した渦のようなものをつくっていく必要があると感じているのです。

山本  それはまさしくそのとおりだと思います。行政も巻き込んだプラットホームが必要ということですね。

阪本  エコネイチャーでは行政と協同することがスタートラインにあります。協同することで事態は早く進みます。

質問  井上先生にお聞きしたいことがあります。松枯れについてです。東尋坊から石川県まで、海岸沿いの松枯れは10年前にも同じ状況だったと聞いていますが、すべて伐採して、落ち着いたのに今また枯れてしまった。防風林としての松の役割というものがあって松が植えられたのだと思いますが、里山を大事にして海と山をつないでいくときに何をどのように植えていったらいいのでしょうか。これは三国だけじゃなくてつながりのある問題です。どのように考えて進めていったらいいのでしょうか。

井上  とても難しい問題ですが、三国の海岸、そして坂井平野を考えてみると、たとえば石川県境の鹿島の森をみてもお分かりになると思いますが、タブノキが多かったんです。三国神社や丸岡の神社にもタブノキはあります。それが潜在植生としてあったわけですから、目指すとしたらそうした照葉樹林が最終的に戻っていくところではないかと思います。日本人は白砂青松と松に意味づけをしますが、松林は育てていく必要があるので、それなりの覚悟をしなければならないと思います。県道あたりは富栄養化によって松も枯れています。以前気比松原をどうするかと当時の高木市長との懇談会でお会いしたとき、気比神宮の手前から海が見渡せたのです。そこで秋にはキノコがたくさん取れたのですが、砂浜近くの落ち葉がないところを松が好んでいます。それを放置しておくと松は育ちません。

質問  第二の三国方式とは環境に取り組む団体の一体化を目指したネットワークのことと考えていいのでしょうか。

山崎  そうです。10年前の事故では絶望的に汚染された海がきれいになった。ボランティアの熱意と自分たちの環境を自分たちで守っていくんだという多大な協力によって、ほっとする空間を与えてくれました。生活の空気のような存在である環境は今どうするんだというところまで来ています。各団体が一つのテーブルについて、できることから行政を交えながらやっていく。今日のシンポジウムはその入り口まで来たという思いがします。当たり前の空気のようなものがあって初めて、東尋坊や水郷の町三国湊と誇りを持って言うことができるのではないでしょうか。ボランティアの力によって蘇った海のように当たり前の環境を子ども達に残していくためにも、手遅れになる前にネットワークをつくっていきたい。間髪を入れず次の計画を進めたいので皆さんに協力をお願いしたいと思います。今日は長時間のところ皆さんにご参加いただき本当にありがとうございました。

シンポジウム概要 2007.11.01

ロシアタンカー「ナホトカ号」の重油が福井県三国町に漂着してから今年で10年。 海は全国のボランティアと住民の力によって甦り、 三国では漂着ゴミの回収、海を育てる森づくり、環境教育等の活動が盛んに行われています。 豊かな三 […]

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