アート

第一回 三国での滞在制作に寄せて / 樋口裕一

2010.08.15  by

はじめまして。樋口裕一と申します。

ものづくりをしております者です。

何のご縁かアートで町おこしに一助できるのではないだろうかという趣旨の元三国の地に滞在して作品をつくることになりました。若輩者ではありますがふんどし引き締めて務めさせて頂きたいと思いますので是非ともよろしくお願い致します。これから日々の制作過程や滞在して感じたことなどをここに日々綴っていこうと思いますので気が向いた方はときどき覗いて下されば幸いです。

三国での滞在制作に寄せて

 

三国は古くからの湊街であり、様々な物資や人々が往来してきた土地だと伺っております。僕は三国の海岸線を好んでよく歩くのですが、浜に堆積するいつの時代にどこから流れついたか知れぬ様々なものものに触れ、この土地の風土・文化を形成した無数の積み重なりに想いを馳せたりしています。

私の作品は壁などの空間を造形することですが、その制作はその土地で採種できる素材を採集するところから始まります。その素材は、砂や土や藁など、基本的な左官壁 に用いられる材料をはじめとして、三国の場合では薄青緑の杓谷石や屋根の赤煉瓦の欠片などこの土地の特色を顕著に表すものなどの使用も現在検討していま す。また、素材採集の対象は変わりゆく三国と共に暮らしてきた方々の生の声であったり、かつてこの地を詠んだ多くの文人たちの足跡であったりもします。そ うして採集した無数の素材や声を、壁として立ち上らせる事を理想として目指しています。

自分は一旅人に過ぎませんが、地元民にとっての地元というのは時として灯台元暗しであるものと思われますので、異邦人なりの違った角度から三国が元々潜在的に秘めている魅力に新たな光を当てられたらという想いで取り組ませて頂きますので何卒宜しくお願い致します。

 

樋口裕一

1982年大 阪は吹田市の千里ニュータウンに生まれ育ち、幼少より絵筆を片手に、岡本太郎の太陽の塔と交信しながら育つ。アスファルトの通学路を縄跳びしながら駆けていく様な子供だった。中学では灰色の学園生活をバスケットボールとロックに全てを捧げることでなんとか切り抜ける。高校から はデザインに触れたり海外での異邦人体験をするなど、広い世界の一端に触れ自分をもっと拡げたいと思うようになる。大学からは舞踊に映像やイラストレーションなど形 式や媒体に関係なく嗅覚の赴くままにものづくりにただただ没頭する日々を過ごす。

2002年 大阪市立工芸高等学校ビジュアルデザイン学科卒業
2002年 京都造形芸術大学映像舞台芸術学科入学
2005年 武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科三年次編入学
2007年 武蔵野美術大学資格伝達デザイン学科卒業

そして卒業後、制作、生活両面に於いて壁にぶち当たりまくって瀕死になりながらも意固地に不器用に自分の道をなんとかかんとか貫き、2009年衝撃的な出会いと共に土や漆喰などの天然素材を用いた左官造形に目覚める。と、同時に裸足で猛烈に走り出し、現在に至る。これからは自然と人間の暮らしに向き合ってゆきたいと切に願う27歳の駆け出しのものづくりです。

 

■受賞暦

第16回毎日・DASデザインコンクール グランプリ
イメージ・フォーラム・フェスタ2004 入選
世界舞踊祭2008 新人賞

作品ファイル http://www.flickr.com/photos/yuichi_higuchi/

 

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